2019/12/18
本堂城/秋田県美郷町
本堂城は平城で、堀跡と土塁が残っています。訪問日は2017年8月8日です。

西門の跡です。
パッと見ではよくわかりませんが・・・
手前の少し低い所が堀跡、車の轍がある所が門の跡です。

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上の写真に写っている説明板に、この図が載っています。
現在残っているのは内館跡で、内堀の跡は丸々一周残っています。
東西南北は上が北で、西門は左側の真ん中です。

西門跡から見た本丸内部方向です。
手前のうっすら低い所が堀跡です。
完全に埋められてはいますが、幅が広かった事だけはわかります。
本丸の中は草地になっていて、木のある所に小さな祠があります。

西門跡から北側を見た所です。
内堀跡は浅いのですが、全周残っています。
一度埋めて畑になったものを丸々買い上げたっぽいです。

北東の角にだけ、土塁が残っています。
望遠で圧縮して撮ると、迫力が増します


土塁の所にあるこの石碑は城址碑です。
ちゃんと「本堂城址」と彫られています。
かなり達筆です


あと、大きな木の下には、藁で出来たトトロっぽいのが居ます。
これは人形道祖神の「鐘馗様(しょうきさま)」です。
秋田県中南部では、地方ごとに特色のある人形道祖神が祀られています。
主に集落の境目に置かれ、疫病や災害除けの願いが込められているそうです。
一番数が多いのが鹿島様なので、一般的に鹿島様と呼ばれたりするそうです。
あちこち撮り集めたくなって来ました♪

北東部分の土塁を外から見た所です。
昔はもっと高かったかもしれません。
でも、十分城内の様子を窺うことは出来ません。

今度は東門跡です。
本当にココ?という位に「跡」です。
この感じだと、元から土橋があったようには見えません。

東門跡から見た南東側の堀跡です。
西側同様完全に埋め立てられ、うっすらと形が分かるだけです。

南側の堀跡も同様ですが、他の場所よりも幅が広くなっています。

南側にも門の跡があり、ここが正門だったようです。
きっと発掘調査で柱跡とか礎石とか出てきたんでしょうけど・・・
私には草原に白い標柱が立っているだけにしか見えません。
見える方には見えるのかもしれませんが

◆歴史◆
独立勢力・本堂氏の居城でした。
本堂氏は和賀氏の庶流で、南北朝時代に陸奥から移って来たそうです。
はじめは山城の元本堂城を本拠としていました。
平城の本堂城を築いたのは天文年間(1532-55)と考えられています。
北の戸沢氏、西の安東氏、南の小野寺氏に挟まれながらも独立を保ちます。
1590年、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、8,983石の領地を安堵されます。
本堂忠親は朝鮮出兵にも参加し、秋田実季と行動を共にしています。
関ヶ原の戦の後、佐竹氏が秋田へ移封。
これに伴い、本堂茂親は常陸国への国替えを命じられます。
こうして1602年、本堂城は廃城となりました。
所在地:秋田県仙北郡美郷町本堂城回館間
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