2019/12/21
白岩城/秋田県仙北市
白岩城は真夏でも登れる山城です。訪問日は2017年8月8日です。

城跡の南西麓にある登城口です。
駐車場がありますが、バス停がいい目印になっています。

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駐車場にある「歴宝の里白岩ヒルズ」の案内図です。
白岩城の「館山」を中心に、周囲との位置関係がわかりやすく描かれています。
麓には平城跡が2つあり、周りに神社やお寺もあります。
今は田んぼや杉林になっていますが、城下町があったっぽい感じです。
右端には十六沢城も描かれています。

駐車場から見える鳥居のある道が登城路です。

そこまでは事前に調べていましたが、いざ進むとこんな感じです。
城跡は右側なのですが、どこから上がるんだろう???となりました。

駐車場から2分歩いた所です。
何となく上に行ける道がある、ぽい?
でも、斜めなだけで、道?
ビミョーな感じだったので、迷いつつもスルーしました。
実は、ここから登れます。
帰りはここへ下りて来ました。

もうちょっとだけ進んだ所にも、こんな感じの所があります。
こちらは、先ほどよりも草が少なく歩けそうな感じ。
私はここから登りました。

入口はちょっと?でしたが、すぐにまともな道になります。
2、3度道が折れながら、6分登った所に大きな曲輪があります。

道を探す感じで曲輪を四阿の方へ進むと、上への道がありました。
ここから見ても、短い距離でスイッチバックを繰り返す九十九折れです。

四阿から登ること5分で、大きな堀切が現れます


堀切の堀底道を進むと、今度は段々になった曲輪が現れます。

段になった数段の曲輪の先に、茶色い屋根が見えてきました。
ゴールはもうすぐ!

茶色い屋根は手前側の四阿で、奥に見えるのが古城神社です。
周りに大きな杉を鎮守の杜に従えた感じで、とてもいい雰囲気です。

神社のある奥から見た主郭です。
いつも思うのですが、山の上なのにかなり広い平坦地です。
元々こうだったのか、尖がった山の頂上を削ったのか。

主郭の形をGPSで記録しようと外周を歩いていると、土塁がありました。
山城で土塁といえば、その背後にはいい確率でアノお方がいらっしゃいます。

ひぃこらキツイ山道を登って出会う堀切様は格別です

◆歴史◆
築城時期は不明です。
白岩城でググっても、その始まりは不明確です。
現地の説明板では、鎌倉時代に下田盛国が在城したと書かれています。
2km弱南にあった十六沢城は、藤原有信家臣・宮藤氏が築いたとされます。
その時期は平安時代なので、十六沢城の方が先だったようです。
1212年か1232年、白岩城主・下田盛国が十六沢城を攻め落としています。
これは、どちらの説明板にも書かれています。
白岩城の歴史は、下田盛国の頃から本格的に始まったようです。
下田氏はその後、白岩姓を名乗るようになりました。
説明板の城主は、1354年が下田盛国、1450年が白岩盛基です。
白岩城の城主・下田氏当初、戸沢氏と争っていました。
しかし、下田盛国は戸沢氏に敗れてその家臣になっています。
戸沢家盛の嫡男・戸沢久盛が下田盛忠の娘を娶っています。
戸沢久盛は1405年生まれ1436年没です。
戸沢家盛は門屋城に居城を移し、周辺を一族で固めた人物です。
門屋地方を固めた戸沢氏はその後、本堂氏も降して勢力を拡大していきます。
確かに名前の「盛」が、戸沢氏から与えられたように見えます。
1590年、廃城となりました。
白岩城は戸沢氏に属する「戸沢三十五城」の一つとして廃城になっています。
戸沢盛安は商人に変装して僅か9人で小田原征伐に参陣。
その行動力を激賞され、名刀「備前兼光」を授けられ領地を安堵されました。
領地を安堵されたのに、これだけ多くの城が廃城になったのか?です

白岩城は、山城部分の「館山」が廃城となっています。
城主の白岩盛正は、北側の麓に平城を築いて居城としました。
1602年に白岩盛家が、戸沢政盛に従って常陸へ移りました。
代わって入った多賀谷宣家もやはり、白岩家平城近くに平城を築きました。
多賀谷宣家は1610年に檜山城へ移っています。
この時に白岩の平城も廃城になったものと思われます。
所在地:秋田県仙北市角館町白岩前郷山 GPSログダウンロードページ
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