2019/12/15
大森城/秋田県横手市
大森城は現在公園となっている、グルグル巻きなお城です。訪問日は2017年8月8日です。

公園になっているだけあって、きれいな駐車場があります。
ここも曲輪だったのかもしれませんが


この駐車場に、図の入った立派な説明板があります


拡大表示
せっかくなのでパクリます >・)
昔からこんな感じだったんですね!

実写だとこんな風に見えます。
もう、まんまこんな感じです。

駐車場からさらに奥へ進むと、未舗装の駐車場があります。
入口脇にある立て札?には、二の丸駐車場と書かれています。
二の丸、だったんですね。

ここから見ても、やっぱり帯曲輪が幾重にも段々に見えます。

ボコボコの段差でどうやって登るんだ?なんて思ってました。
でも、安心して下さい。
ちゃんと階段あります


ボコボコの段差は、上から見てもボコボコです。
これだけの数の帯曲輪に囲まれたお城は、とても珍しいです。

その一番上が主郭です。
さすがにここは真っ平らです。
奥に見えるのは大森神社です。

一番目立つ所に、とても立派な石碑があります。
これだけの城跡だから、当然ありますよね~なんて思ってましたが・・・
石碑には「山下太郎先生顕彰碑」と彫られています。
もしかして、山下太郎が城主様???なんて、思いませんでしたけどw
◆歴史◆
文明年間(1469-87)に小野寺道高により築かれました。
小野寺道高は当主・小野寺泰道の四男です。
築城当時は「岩渕城」と呼ばれていました。
本拠地・横手城の西側を守る拠点として築かれました。
1580年頃に大森城と呼ばれるようになりました。
この頃に城主となったのが、大森五郎こと小野寺康道です。
小野寺家当主・小野寺義道の弟で、大森殿と呼ばれていました。
城主の呼び名に合わせて、お城の呼び名の方が変わっています。
「岩渕城」でググっても、出てくるのは「大森城」です。
1590年、上杉景勝が在城しました。
東北各地で太閤検知が行われ、上杉景勝が大森城に在城しました。
兄・小野寺義道が上方に居り、小野寺康道が太閤検地の対応をしました。
上杉景勝は雄勝・平鹿・仙北の三郡の検地を担当しています。
検地が終わると、小野寺康道が城主に戻っています。
1600年、最上軍に攻められました。
関ヶ原の戦の際、小野寺義道が上杉景勝に味方しました。
そのため、雌雄が決すると最上軍や秋田軍、由利衆らの攻撃を受けました。
小野寺家の城は各地で同時に攻められ、援軍を送れず落城しています。
小野寺康道は、500名の城兵と300名の百姓とともに大森城に籠城。
最上軍を中心とする1万の大軍に攻められたものの守り切りました。
最終的には徳川家康の命令で戦は強制終了され、小野寺家は改易処分。
小野寺康道は、兄とともに石見国津和野へ流刑となりました。
最上家の城となった後、廃城になったと考えられています。
小野寺家改易後は、最上家臣・伊良子将監が城主となりました。
しかし翌年、大森城のあった平鹿郡が佐竹家の久保田藩領となります。
廃城時期は不明ですが、遅くとも一国一城令の1615年までと思われます。
所在地:秋田県横手市大森町高口下水戸堤(大森公園)
秋田県の城跡/なぽのホームページを表示 |
コメント