2019/11/25
吉田城/秋田県横手市
吉田城は主郭の土塁と堀跡の残る平城でした。訪問日は2017年8月8日です。

南東隅にある櫓台です。
ここからコの字形に土塁が残っています。

櫓台の上から、北へ続く土塁を見たところです。
土塁の外側には、堀跡の窪みも残っています。
城内の方がちゃんと高くなっています^^

主郭内部は、まぁこんなもんです♪

北東隅にも櫓台があり、こちらには三吉神社があります。

北側の土塁と堀跡です。
堀跡は畑になっている部分もあります。
◆歴史◆
小野寺輝道が隠居した時に築いたとされます。
小野寺輝道は1583年、小野寺義道に家督を譲り隠居しました。
吉田城はこの時に築かれたと考えられています。
この時に末子の陳道を連れて行き、没後は陳道が城を継ぎました。
事績があまり伝わっていない人物ですが・・・
1595年、最上義光による八柏道為謀殺に関与しているようです。
最上義光は、八柏道為が最上家に寝返るという内容の手紙を偽造。
この手紙を吉田城の小野寺陳道の元に「誤って」届けさせています。
これにより小野寺義道が八柏道為を疑い、横手城へ呼び出し殺しています。
1600年、最上軍に攻められました。
慶長出羽合戦の際、小野寺義道は東軍のち西軍に加担しました。
そのため、東軍の最上軍が小野寺領に攻め込みました。
この時、多くの城が最上軍により攻め落とされました。
しかし、小野寺陳道は吉田城を守り切り、最上軍を撃退しています。
1602年、佐竹家臣・茂木監物が城代となりました。
小野寺家は改易され、小野寺陳道は南部家を頼って陸奥へ移りました。
小野寺旧領は佐竹家の領地となり、吉田城は茂木監物が城主となりました。
茂木氏は下野の独立領主でしたが、1590年に佐竹家臣に組み込まれました。
以後は佐竹家の重臣として活躍しています。
1615年、廃城となりました。
一国一城令により、吉田城は廃城となりました。
茂木監物はこの時、存続した横手城の城代となっています。
所在地:秋田県横手市平鹿町上吉田吉田
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