2019/11/23
岩崎城/秋田県湯沢市
岩崎城には地域の水神様が祀られています。訪問日は2017年8月9日です。

城跡の麓にある駐車場です。
ここもかつては城内だったと思いますが・・・
流鏑馬が出来そうな雰囲気があります。

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ここに、千年公園(=岩崎城跡)の案内図があります。
どうやらココがかつてのお城への入口だったようです。
公園正面の階段が無ければ、公園から横矢を受ける配置ですからね♪

駐車場奥に見えた八幡神社です。
御殿っぽい造りが妄想を掻き立てます

・・・と思ったら、岩崎藩陣屋の建物の一部が使われているそうです。
城キチの妄想も、多少は当たることもあるようです


神社の右斜め後ろに見えたスロープを上がった所が千年公園です。
岩崎城跡でいう三郭にあたる場所です。
ここに普段の政庁があったと思われます。

グラウンドみたいな所は早々に立ち去り、高い所を目指します。
〇〇と城キチの基本的動作は大体こんなもんです。
お城の構造は、広い三郭を襟のように二郭と主郭が囲む感じです。
まずは多少低い西側から登りました。
何となく虎口っぽい感じ、イイですね


高い所の一段低い西側が二郭だった所です。

そのまま東へ進むと、中央の階段を挟んで一段高くなります。
そっちが主郭です。

襟のように囲んではいますが、主郭はかなり広いです。

主郭の中央に目立つ石碑があるということで吸い寄せられました。
きっと城址碑に相違ござらん!と思っていたのですが・・・

丸顔の優し気なおじいちゃんの顔が彫られていました。
左胸に勲章らしき物をぶら下げているので、かなり偉い方のようですが・・・
城址碑ではなかったせいか、何の石碑だか全然見ていませんでした。
似顔絵の下に「岩崎城」で始まる文章が彫られていますが撮影すらせず。
今頃になって何の石碑なのか、このおじいちゃんが誰なのか超気になります。
これを確認するためだけに、日帰りで秋田に行かない事を祈るばかりです


主郭から見た三郭です。
政庁などの建物は、ここからの見晴らしも考慮して建てられたのでしょうか。
お殿様気分のためなら、それ位はやったに違いありません(`・∀・´)

主郭の一段下には帯曲輪があります。
そこには「~豊穣祈之碑」があります。
整っているのですが、達筆過ぎて浅知恵の私には読めず


主郭を見たので三郭へ下りました。
ここには派手な井戸跡と、標柱に説明板まであり賑やかでした。
これは玉子井戸の跡で、赤ん坊を泣き止ませた石があったそうです。
その赤ん坊は後の能恵姫で、別の伝承もあります。
せっかくなのでザックリ書きます。
お年頃になった能恵姫が、11月の天気の良い日に輿入れしました。
しかし、川を渡っている時に竜巻に遭遇し行方不明に。
能恵姫は竜神様に仕えたのだとされ、城内に水神社が再建されました。
・・・本当にザックリです

尚、その命日とされる日に現在でも「初丑まつり」が行われています。
◆歴史◆
小野寺一族・岩崎氏の城でした。
小野寺経道が雄勝郡に入部した頃に、藤原河内守により築かれました。
藤原河内守は岩崎姓を名乗り、15代にわたって城主を務めます。
上述の能恵姫は14代岩崎道高の娘で、1555年に生まれています。
1595年、最上軍に攻められ落城しました。
1591年に最上領になった後も、小野寺義道が雄勝郡を実行支配し続けました。
最上義光は1593年から実力行使による領地保全を図るようになります。
1595年、楯岡満茂を総大将とする最上軍が湯沢城を攻略。
最上軍の主力が岩崎城へ押し寄せました。
城主の岩崎義高が要請した援軍は最後まで現れず、ついに落城しました。
戦後、岩崎城攻めで活躍した最上家臣・原田大膳が城主となりました。
1615年、廃城となりました。
関ヶ原の戦の後、雄勝郡は佐竹家の領地となりました。
最上家にはその代替地として、由利郡が与えられています。
その後、1615年に江戸幕府により一国一城令が発令されました。
佐竹家では、久保田城と横手城以外の城は廃城となっています。
所在地:秋田県湯沢市岩崎千年(千年公園)
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