2019/11/21
三梨城/秋田県湯沢市
三梨城は、稲庭小野寺氏の庶流・三梨氏の城でした。訪問日は2017年8月9日です。

城跡は国道沿いの住宅街の背後にあり、駐車場はありません。
安心して停められるとすれば、バス停の余白部分の空き地しかありません。

わかりやすい城跡への入口は、バス停から道を渡り斜めの脇道に入った所です。
下の地図では、南の方から東へ入っている所がココです。
ここは神社なので、まっすぐ入っても大丈夫です。

神社の背後には城塁が迫っています。
何とかこの上に上がりたい・・・
でも、上がるだけなら出来ますが、それでは構造がわかりません。
なんとかかつての導線に従って移動したいものです。

左右を見ると、こんな感じで帯曲輪となっています。

どっちがいいのかよくわかりませんでしたが、とりあえず右へ。

広い所に出ました。
曲輪かもしれませんが、草原にも見えます。
たぶん、世間的には後者ですね・・・


ここは土塁や堀、虎口もあるらしいので、それらを探してウロウロ。
とりあえず進めそうだったこっちへ。

全般的に地形は平らだったので、それはそれで曲輪の可能性大です。

先へ進むとこんな所もありました。
土塁っぽいですが、よく覚えていません


次の写真が、再び帯曲輪を進んだようで・・・

その先の平坦地に出ました。
どうやらここは果樹園っぽいです。
木は殆ど無いのに、草が刈られているちょっと謎な空間です。
右側に上がっていけそうな感じの道が見えますが・・・

そちらには行かず、虎口っぽい所から外に出たようです。
・・・ここの記憶は「とにかく草



虎口から外に出ると、未舗装の車道に出ました。
実はこの道、城跡への入口がこっちにあると最初に行き来した道でした。
車で走りながら入口を探したもののわからず。
それで一番上の神社から探索したのでした。

道に出ちゃったのでUターン。
この時に道から見えたのが、こんな感じです。
よ~く見れば、入っていく道が見えるという感じです。

じゃぁ今度は、とさっきそれっぽいと感じた所を上がって見えた光景です。
一面草野原で、躊躇って虎口を出た理由がわかる気がします。
でも、虎口の外は×だった今、残る選択肢はこっちだけ。
こう見えて意外と草の丈は低いので、靴を濡らしながら突撃です。

進んでみると、土塁らしき土の壁がありました


さらに進むと開けた場所があり、石宮が鎮座していました。
これが主郭の目印の八幡宮・真山宮です。
お宮は2つですが、1つの祠に並んでそう彫られています。

とりあえず主郭に辿り着けたことに安堵し、さぁ次へ!と脱出。
草深い所を通ったので道など無く、元来た方へ戻ろうとしました。
しかし、元とは違う方向にこれが見えたので、つい本能的に釣られました。
パッと見ただけでわかる虎口です


その下には、草の無い綺麗な平地があり、腰曲輪だったようです。
ここも果樹園っぽいですが、大丈夫そうな感じなので下りました。

虎口を振り返って見た所です。
ちょっとわかりにくいですね


下りていくと、もう1つ虎口があります。

ここも下から見ると、周りの草木に埋もれて目立ちません。
が、こっちが大手口だったそうです。

そのまま下りてきて出たのがココです。
逆引きで、ココから攻めれば効率的に本丸に辿り着けます。
私は真夏だったので草深かったので、草の無い時期がおススメです。
◆歴史◆
小野寺晴道の三男・道実により築かれました。
小野寺晴道は、小野寺稙道の弟で、一時期小野寺家当主代行でした。
時期は1546~50年頃で、小野寺輝道が京から戻ると稲庭へ移りました。
以後、小野寺晴道の系統が稲庭城を居城とします。
その小野寺晴道の三男が三梨城を築いたので、この時期と思われます。
3代目で三梨道実の孫・道嗣が、陸奥国和賀郡へ移りました。
陸奥国というと遠くに感じますが、和賀郡は雄勝郡の東隣にあります。
時期や理由、どこへ行きどうなったのか、全っ然わかりません

小野寺輝道は1573年から数年間、和賀義忠と戦っていました。
戦は一進一退の攻防を繰り返すものの、一向に決着が付かず。
最終的には和睦し、お互いに人質を出し合ったそうです。
・・・関係あるのかどうかは???です

その次に城主となったのが、小笠原道英です。
娘の嫁ぎ先が、稲庭城最後の城主・小野寺道勝です。
どんな人物だったのかはよくわかりませんが、城を枕に討死しています。
1596年4月、最上家臣・鮭延秀綱が三梨城を包囲しました。
稲庭城を攻め落とした軍勢も加わり、三梨城への攻撃は激しさを増しました。
その兵力は約2000人だったそうです。
小笠原道英は兵200人を率い、大手口の最上勢を突破。
そのまま鮭延秀綱の陣に突撃し、壮絶な討死を遂げました。
城主討死後に本丸から火の手が上がり、城は焼失。
焼け跡では、約100名が自害して果てていたそうです。
稲庭城が間もなく廃城となっており、三梨城も廃城になったと思われます。
所在地:秋田県湯沢市三梨町下宿 GPSログダウンロードページ
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