2013/08/18
河崎氏館/神奈川県川崎市川崎区
河崎氏館は現在は稲毛神社辺りにあったとされています。訪問日は2013年2月11日です。

▲稲毛神社
稲毛神社は京急川崎駅の東側にあります。国道15号(第一京浜)沿いにあり、クルマは鳥居の所から入って4、5台は停められます。
大都会の真ん中にありますが、歴史有る神社だけあって境内は別世界。不思議な落ち着きがあります。大昔の館跡なので、遺構らしきものは見当たりませんでした。
◆歴史◆
河崎氏館は前九年の役(1051~62年)の戦功で当地を得た、河崎基家の館と伝わります。基家は秩父武綱の子で、兄は畠山氏や河越氏の祖である秩父重綱です。
基家はこの他に相模国高座郡渋谷庄、武蔵国豊島郡谷盛荘も与えられた。基家の孫・重国が渋谷姓を名乗り、谷盛荘に築いた城が「渋谷」の由来らしいです。
かなりの大身だった河崎氏ですが、その後の事蹟はほとんどわからず・・・鎌倉時代になると、川崎の地は佐々木氏の領地となりました。
渋谷氏は続いているので、本家は平家に味方して歴史ごと抹消されたのかもしれませんね^^;土佐坊昌俊(渋谷氏)の忠臣ぶりは、一族の汚名をすすぐためのものだったのでしょうか。わからないと色々と妄想が駆け巡りますw
河崎氏の館跡とされる稲毛神社ですが、こちらの歴史もかなり古いです。
杜伝によれば、景行天皇が東国巡行の際に賊難を避けたと伝わります。景行天皇は日本書紀や古事記に登場する第12代の天皇です。年代で言うと4世紀前半らしいです

河崎基家が山王権現を勧請してからは「河崎山王社」「堀之内山王権現」と呼ばれています。鎌倉時代には社領700石が寄進され、佐々木高綱によって社殿が造営されました。しかし、室町時代になると新田家との関わりから社領が20石に減らされました。
幕末の1868年、幕府征討で下向中の有栖川宮熾仁親王が河崎山王社で休憩しました。この時、神仏分離の方針に相応しくないという理由で「川崎大神稲毛神社」と改名されました。「川崎大神宮」とも呼ばれていましたが、明治時代中頃には「稲毛神社」で定着しました。
所在地:神奈川県川崎市川崎区宮本町(稲毛神社)
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