2019/07/19
大塚城/山形県川西町
大塚城は、土塁の一部と大手門が残っています。訪問日は2016年8月5日です。

城跡のすぐ前に「牛谷家の門」があります。
茅葺の長屋門ですが、実は大塚城の大手門を移築したものです。
小さなお城ではお馴染みの形です


城跡の「すぐ隣」にあるのが高徳寺です。

庭園の端っこが堀跡です。
その左脇に見えるのが土塁です。
高さは5メートル程あり、そこそこの規模です


土塁の上に稲荷神社があります。
ここに上がる石段があります。

ここから、向こう側の土塁が見えます。
土塁はカギ形に一部分だけ残っています。
◆歴史◆
大塚氏の林崎館でした。
鎌倉時代初め頃に、大塚親行により築かれたと伝わります。
『伊達世臣家譜』では、藤原道長の9世子孫だそうです。
伊達家がここらを支配したのが1385年。
そのため、はじめは大江氏(のちの長井氏)に仕えていた事になります。
そこから13代目までが不明なままで・・・
14代目以降は名前などがわかり、16代目で1591年を迎えます。
尚、14代目の大塚宗頼は老齢のため武士を捨て、当地に残ったそうです。
16代目の大塚高頼とその弟・大塚頼賢は伊達政宗に従って移りました。
尚、大塚氏が居た頃は「林崎館」という名で記されています。
地名で「大塚」が現れるのは、米沢藩の時代になってからです。
この頃になると城ではなく、年貢米の貯蔵庫として使われました。
1686年、大手門が現在地に移築されました。
移築したのは牛谷氏で、現地では「牛谷家の門」と紹介されています。
牛谷氏は大塚氏に仕える土豪でした。
1574年に記された『伊達氏人数日記』に、牛谷蔵主の名が登場します。
牛谷氏は伊達政宗の岩出山移転には従わず、当地に残り帰農しました。
その後、直江兼続に従って最上義光との戦に参戦しています。
この時の功により、米沢藩では在郷馬上の待遇を与えられていたそうです。
「在郷馬上」がどんな待遇なのかよくわかりませんが・・・
農民だけど馬に乗っても良い、という事でしょうか?
所在地:山形県東置賜郡川西町大塚
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