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大塚城/山形県川西町

大塚城は、土塁の一部と大手門が残っています。
訪問日は2016年8月5日です。

大塚城【1】

城跡のすぐ前に「牛谷家の門」があります。
茅葺の長屋門ですが、実は大塚城の大手門を移築したものです。
小さなお城ではお馴染みの形ですラブラブ

大塚城【2】

城跡の「すぐ隣」にあるのが高徳寺です。

大塚城【3】

庭園の端っこが堀跡です。
その左脇に見えるのが土塁です。
高さは5メートル程あり、そこそこの規模ですラブラブ

大塚城【4】

土塁の上に稲荷神社があります。
ここに上がる石段があります。

大塚城【5】

ここから、向こう側の土塁が見えます。
土塁はカギ形に一部分だけ残っています。


◆歴史◆

大塚氏の林崎館でした。

鎌倉時代初め頃に、大塚親行により築かれたと伝わります。
『伊達世臣家譜』では、藤原道長の9世子孫だそうです。
伊達家がここらを支配したのが1385年。
そのため、はじめは大江氏(のちの長井氏)に仕えていた事になります。
そこから13代目までが不明なままで・・・
14代目以降は名前などがわかり、16代目で1591年を迎えます。
尚、14代目の大塚宗頼は老齢のため武士を捨て、当地に残ったそうです。
16代目の大塚高頼とその弟・大塚頼賢は伊達政宗に従って移りました。
尚、大塚氏が居た頃は「林崎館」という名で記されています。
地名で「大塚」が現れるのは、米沢藩の時代になってからです。
この頃になると城ではなく、年貢米の貯蔵庫として使われました。

1686年、大手門が現在地に移築されました。

移築したのは牛谷氏で、現地では「牛谷家の門」と紹介されています。
牛谷氏は大塚氏に仕える土豪でした。
1574年に記された『伊達氏人数日記』に、牛谷蔵主の名が登場します。
牛谷氏は伊達政宗の岩出山移転には従わず、当地に残り帰農しました。
その後、直江兼続に従って最上義光との戦に参戦しています。
この時の功により、米沢藩では在郷馬上の待遇を与えられていたそうです。
「在郷馬上」がどんな待遇なのかよくわかりませんが・・・
農民だけど馬に乗っても良い、という事でしょうか?


所在地:山形県東置賜郡川西町大塚

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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