fc2ブログ

小松城/山形県川西町

小松城も平城でしたが、色々残っています。
訪問日は2016年8月5日です。

小松城【1】

城跡の前の道沿いに、人の背よりも高い土塁があります。

小松城【2】

その土塁の開口部です。
少しずつ低くなり、ここを入口にした感じですが、門跡かもしれません。
奥には櫓台らしき部分も見られます。

小松城【3】

入口の両脇にあるモノです。
小松城跡と書かれた表札になっています。

小松城【4】

入口から見た城内です。
城内というよりも、グラウンドといった雰囲気です。
実はココ、中学校の跡地でもあります。
内部はその時に破壊され、まっ平にされました。
現状は、大先輩方の憩いの場となっています。
朝6時だったので、まだお出ましではありませんでした。

小松城【5】

奥の土塁です。
手前のも立派でしたが、奥のはその何倍も立派です。
これだけで、ここが只者の城ではなかったことが想像できます。

小松城【6】

その大きな土塁も、真ん中が開いています。

小松城【7】

開口部の奥にあるのが新山神社です。
ということで、この開口部は虎口のようです。

小松城【8】

神社と土塁の間は、少しだけ窪んでいます。
どうやらここは堀跡のようです。


◆歴史◆

応永年間(1384-1428)に船山因幡守により築かれたと伝わります。

船山因幡守は長井広房の重臣だったそうです。
伊達宗遠が置賜郡を侵攻した時の長井氏の当主が?でしたが・・・
こうやって1つ1つの城跡を調べると出てくるものなんですね!
名前がわかると、色々出て来ます。
その伊達宗遠が置賜郡へ侵攻を始めたのが1380年。
そして、子の伊達政宗が長井氏を滅ぼしたのが1385年の出来事です。
ということで、築城時期は1384年から1385年にかけてという事ですね。

伊達家臣・大町貞継の城となりました。

伊達政宗が置賜郡を攻略後、小松城は大町貞継が城主となりました。
以後、7代にわたって大町氏が城主を務めました。

桑折氏が城主となりました。

桑折氏は伊達郡桑折を本貫地とする、伊達家の一門です。
1479年に伊達成宗の命により、桑折宗義が寒河江氏を攻めています。
この頃までには小松城の城主となっていたようです。
伊達成宗は1467年から1472年にかけて、国分氏を攻めました。
この時、寒河江氏が国分氏を支援しました。
そのため、国分氏を屈服させた後、遺恨のある寒河江氏を攻めたようです。
しかし、1480年に桑折宗義が寒河江氏の騙し討ちに遭い、自害しています。
戦国時代には、桑折景長が活躍しました。
1543年に中野宗時とともに伊達稙宗を幽閉し、天文の乱が勃発しました。
伊達晴宗方の主力として活躍しています。
この時の活躍により、守護不輸権などの特権を得ました。
守護不輸権とは、租税の一部または全ての免除です。
・・・ほぼ独立勢力扱いなんですね!

天文の乱後、牧野久仲が城主となりました。

1553年、天文の乱後の所領再編により、桑折景長が刈田郡へ移りました。
伊達晴宗は勝つため、自分でも把握出来ない位に多くの約束をしていました。
その約束を1つ1つ整理した結果と思われます。
代わって、小松城は牧野久仲が城主となりました。
牧野久仲は中野宗時の次男で、守護代の名家・牧野家を継いだ人物です。
父同様、天文の乱では伊達晴宗方の主力として活躍しました。
伊達晴宗が当主となると、牧野久仲は父とともに権勢を振るいました。

1570年、再び桑折氏が城主となりました。

1564年に伊達晴宗が隠居し、伊達輝宗が伊達家の当主となりました。
しかし、伊達晴宗が実権を持ち続け、中野宗時・牧野久仲も健在でした。
1570年、伊達輝宗は中野宗時に謀反の疑いをかけ、討伐しました。
中野宗時は牧野久仲の小松城に籠りましたが、攻め落とされました。
城を抜け出した中野宗時・牧野久仲父子は、相馬盛胤の元へ逃れました。
尚、この逃避行を助けたとして、小梁川盛宗らが罰せられています。
中野宗時・牧野久仲父子を追放した事で、伊達輝宗が家中を掌握しました。
牧野久仲追放後、桑折景長が再び小松城の城主となりました。
1591年、伊達政宗の岩出山移転に伴い、桑折政長が江刺郡に移りました。
この時に廃城になったと考えられています。


所在地:山形県東置賜郡川西町中小松(新山神社)

山形県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR