fc2ブログ

高畑城/山形県高畠町

高畑城の跡には小学校があります。
訪問日は2016年8月5日です。

高畑城【1】

城跡へ行くとき、ナビをセットするのに苦労すると思います。
ですが、城跡が学校だったりすると、ナビのセットがとても楽になります。
なので、城跡が学校でなくても、近くの学校を目印にすることがよくあります。
・・・この時はナビ無しのバイクでしたけどあせる
それでも、とてもわかりやすい目印である事には違いありません。

高畑城【2】

小学校の南西に、一部分だけですが水堀が残っています。
その水堀脇に、高畑城水堀跡の石碑があります。
さり気な~く文化財マークの上に乗っかっていますラブラブ

高畑城【3】

水堀を外側から撮りました。
コンクリートで固められてはいますが、雰囲気はバッチリです^^
角から撮りましたが、奥の角で堀が曲がっているのが見えます。
この辺は完全に残されているようです。

高畑城【4】

奥の辺を見ようと、そっち側の角へ移動。
すると・・・すぐ先で行き止まりになっていましたあせる
まぁ、この規模の平城で水堀が残っているだけでも奇跡ですけど。

高畑城【5】

小学校のグラウンドの隅には、土塁の名残のような土盛りが見られます。
尚、往時は堀の形から、別名・鐘ヶ城とも呼ばれていたそうです。


◆歴史◆

平安時代にはすでに原型があったようです。

平安時代の高畠は屋代荘と呼ばれ、摂関藤原氏の荘園でした。
1148年頃、藤原頼長が藤原基衡に対し、大幅な年貢増額を要求しました。
5年以上揉めた結果、1153年に藤原基衡が争議に勝利。
年貢増額は微増に終わり、藤原頼長がとても悔しがったそうです。
その後、藤原秀衡の従兄弟・樋瓜季衡が城を築いたと伝わります。

鎌倉時代に大江氏の領地となりました。

1189年に大江広元が、屋代荘を含む置賜郡の地頭に補任されました。
その後、大江広元の次男が置賜郡の領地を相続しました。
この頃に長井荘という名が現れ、大江広元の次男は長井時広と名乗りました。
(長井荘は長井氏の領地である置賜郡全体を指す別名です)
長井時広は米沢城を築いた人物で、兄の失脚後は大江氏の当主となりました。
長井氏は鎌倉幕府の重鎮として続き、室町時代初期は足利尊氏の側近でした。

1380年、伊達宗遠が高畑城を拠点としました。

伊達宗遠が勢力拡大のため、出羽長井氏を攻めました。
この時に拠点としたのが高畑城でした。
伊達宗遠はこの頃に信夫郡、刈田郡、伊具郡、柴田郡も手に入れています。
鎌倉公方の足利氏満は、周辺勢力に長井氏を助けるよう命じました。
一度は連合軍により伊達軍が撃退されましたが・・・
何度も侵攻する伊達軍に対し、長井氏への援軍は次第に減って行きました。
そして、子の伊達政宗により、1385年に出羽長井氏が滅ぼされました。
以後、1591年の岩出山移封まで、置賜郡は伊達家が支配しました。
尚、初代・伊達政宗は晩年を高畑城で過ごし、同地で没しています。

1591年、蒲生家の城となりました。

葛西大崎一揆の鎮圧後、伊達政宗(独眼竜の方w)は置賜郡を没収されました。
代わって蒲生氏郷が置賜郡の領主となりました。
1598年に蒲生家が左遷され、米沢(置賜郡)が直江兼続の領地に。
1600年の関ヶ原の戦後、上杉景勝が米沢の主となりました。
その後、1664年に上杉家当主が跡継ぎ無く没しました。
本来であれば無嗣断絶ですが、養子を迎える代わりに領地半減となります。
この時に高畑陣屋のある屋代郷が天領となりました。
以後、天領と米沢藩預かりが交互に続きますが・・・
1767年~1830年の間は、織田家も入りました。
この織田家は上野国小幡にいた、織田信雄の子孫です。
1848年に再び米沢藩領となり、そのまま幕末を迎えました。


所在地:山形県東置賜郡高畠町高畠(高畠小学校)

山形県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR