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真坂館/宮城県栗原市

真坂館は狩野氏の本拠とされ、主郭に政岡の墓があります。
訪問日は2017年5月6日です。

真坂館【1】

真坂館へは、龍雲寺から登ります。
このお寺は、江戸時代にココに来た白河氏の菩提寺です。
実はここも曲輪の1つなのだそうですあせる

真坂館【2】

城跡への案内は無いので、主郭にある政岡の墓を目指します。

真坂館【3】

その途中、道の脇に小さな平場が設けられています。
ここに、白河氏の前の城主・富塚氏のお墓があります。

真坂館【4】

およそ5分程階段を登ると、平らな場所に出ます。

真坂館【5】

主郭の手前にあるココ、絶対に虎口ですね恋の矢

真坂館【6】

主郭には、政岡の墓があります。
元々は別の場所にありましたが、昭和のはじめ頃にここに移されました。
「政岡」は江戸時代に流行った浄瑠璃の登場人物で、実名ではありません。
誰がモデルとなったのか、未だに確定していませんが・・・
長くなりそうなので、詳しくは後ほどあせる

真坂館【7】

主郭は政岡の墓のおかげで綺麗に整備されています。
しかし、平坦面は藪の中にも続いています。

真坂館【8】

奥まで進むと1メートル程の段差があり、平坦面が続いています。

真坂館【9】

その奥に、かなり大きな堀切がありますラブラブ
上から見た写真ではよくわかりませんが・・・

真坂館【10】

こんな感じです恋の矢恋の矢恋の矢

真坂館【11】

堀切の向こう側が二郭です。
ただ、ここは政岡のお墓以外は整備されていません。
まだまだ城域は広いのですが、これ以上の探索は出来ませんでした。


◆歴史◆

狩野氏の城でした。

築城時期は不明ですが、伊豆を本拠とした狩野氏の城でした。
1189年の奥州合戦の功により、狩野行光に一迫一帯が与えられました。
ただし、すぐにはこちらには移らなかったようで・・・
奥州に移って来たのは、南北朝時代の狩野詮真とされます。
以後、周辺勢力との縁組を重ね、一族を各地に配置しました。
戦国時代はじめ頃には大崎教兼の三男を養子に迎えています。
跡を継いだ狩野刑部少輔は、地名をとって一迫姓を名乗るようになります。
1588年にあった大崎合戦では、氏家吉継が伊達政宗に内通しました。
この時、一迫隆真も氏家吉継と行動をともにしました。
1590年、大崎義隆は奥州仕置により改易されて領地を失いました。
一迫隆真も領地を失い、後に伊達政宗に召し出されて500石を与えられました。
しかし、跡を継ぐ子が無く、一迫氏は断絶しました。

1591年、伊達家臣・富塚氏の城となりました。

初代城主は富塚宗綱です。
富塚宗綱は人取橋の戦などで活躍し、伊達家の宿老を務めました。
その孫・富塚重信は検地総奉行を務め、仙台藩郡村制度を基礎を築きました。
1660年にあった伊達騒動後、奉行職に就いています。
仙台藩でも特に重臣中の重臣でしたが・・・
1717年、富塚重標が領地を没収され、水沢に配流されました。
何が起きたのか知りたかったのですが、ググっても何も出てきませんでしたあせる

1718年以降は白河氏の城となりました。

白河氏は戦国時代に宗家を乗っ取った小峰義親の子孫です。
小峰義親は佐竹氏に従っていましたが、1589年に伊達政宗に鞍替えしました。
しかし、伊達政宗の指示で小田原に参陣せず、翌年に領地を失いました。
その後はしばらく流浪の身となり、各地を転々としましたが・・・
1601年に伊達政宗を頼り、仙台藩の客分となっていました。
小峰義親の孫・白河義実から正式に仙台藩の家臣に取り立てられました。
真坂館を与えられたのは白河義実の子・白河宗広です。
以後、明治時代に至るまで、仙台白河家の居城となりました。

白河義実の正室が『政岡』のモデルの一人と考えられています。

主郭にある政岡の墓は、白河義実の正室・高流院のものです。
政岡は江戸時代に流行った歌舞伎『伽羅先代萩』の登場人物です。
『伽羅先代萩』は伊達騒動を描いたもので、政岡は重要な役割を果たします。
伊達騒動は仙台藩主・伊達綱宗の強制隠居に端を発します。
伊達綱宗は金遣いが荒く、仙台藩の財政が一気に破綻しました。
奉行達は諫めましたが聞き入れられず、幕府より隠居を命じられました。
1660年に伊達家を継いだのは、まだ2歳の伊達綱宗の子・亀千代でした。
まだ幼子のため、祖父・伊達忠宗の弟・伊達宗勝が後見人となりました。
伊達宗勝は伊達政宗の十男です。
歌舞伎では、仙台藩乗っ取りを企てた伊達宗勝が幼主の命を狙いました。
その悪事を防いだのが、亀千代の乳母・政岡でした。
政岡は自分の子に亀千代の食べ物の毒見をさせていました。
・・・もう何があったかわかりますよねあせるあせるあせる
ただし、白河義実の実在の子は、無事家督を継いで77歳まで生きています。


所在地:宮城県栗原市一迫真坂字館(龍雲寺) GPSログダウンロードページ

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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