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川口館/宮城県栗原市

川口館は八雲神社の裏にありました。
訪問日は2017年5月6日です。

川口館【1】

八雲神社の入口です。
回れ右すると、道沿いに家が立ち並んでいます。
目の前の用水路が、城キチ的には脳内でもっと広く深く・・・w

川口館【2】

神社までは、こんな感じで山道が続いています。

川口館【3】

八雲神社です。
綺麗にお手入れされています。
地元の方がよくお参りされているようです。
まとまった平場なので、曲輪の1つだったのかもしれません。

川口館【4】

さて、神社までは道がありましたが、そこから先はただの山です。
はて、城跡はどこだろう?と周りを見たら、すぐ脇がこんなでした。
上の方が平らになっているのでココっぽいですが・・・

川口館【5】

上の平らな面まで高さは5メートル程なので、斜面を登りました。
こんな感じで木々の間隔が適度に空いており、登りやすかったです。

川口館【6】

上の平らな面です。
思っていたよりもかなり広かったです。

川口館【7】

やや細長い形なので、奥へと進んでみました。
すると、1メートル程の段差がありました。

川口館【8】

その奥に、大きな堀切ハッケン(*´▽`*)

川口館【9】

深さは5メートル程の、かなり大きな堀切でした。
ここで曲輪の細長い地形がブッた斬られています。
堀切の長さは20メートル程あります。

川口館【10】

堀底に下りて右へ進むと、こんな感じになっていました。
堀切の底が通路のようで、その端が虎口っぽい感じになっています。
神社から登る道が無かったのは、裏側だったからのようです。
おそらく、集落から回り込んでココに至る道があったものと思われます。


◆歴史◆

狩野修理の城でした。

わかっているのはこれだけです。
「かのうしゅうり」のルビごとコピペされたサイト様がちらほら。
しゅうり・・・超気になりますwww
※歴オタなら「しゅり」と読みます
狩野修理が大崎義隆に仕えていた、なんてサイト様が1つだけありました。
その通りであれば、1590年に奥州仕置きを受けたことになります。

狩野氏は、真坂館を本拠とした一族です。
1189年の奥州合戦で功を立て、一迫川流域を与えられました。
室町時代に入り、狩野詮真が斯波家兼とともに下向したようです。
以後、周辺勢力との縁組を重ね、一大勢力となりました。

狩野氏には大崎教兼(1430~70年代に活動)の子が養子に入りました。
以後、真坂館の狩野氏は地名をとって一迫姓を名乗るようになります。
1588年の大崎合戦で伊達政宗に味方した一迫隆真が知られています。


所在地:宮城県栗原市一迫川口中町字町裏 GPSログダウンロードページ

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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