2019/06/21
川口館/宮城県栗原市
川口館は八雲神社の裏にありました。訪問日は2017年5月6日です。

八雲神社の入口です。
回れ右すると、道沿いに家が立ち並んでいます。
目の前の用水路が、城キチ的には脳内でもっと広く深く・・・w

神社までは、こんな感じで山道が続いています。

八雲神社です。
綺麗にお手入れされています。
地元の方がよくお参りされているようです。
まとまった平場なので、曲輪の1つだったのかもしれません。

さて、神社までは道がありましたが、そこから先はただの山です。
はて、城跡はどこだろう?と周りを見たら、すぐ脇がこんなでした。
上の方が平らになっているのでココっぽいですが・・・

上の平らな面まで高さは5メートル程なので、斜面を登りました。
こんな感じで木々の間隔が適度に空いており、登りやすかったです。

上の平らな面です。
思っていたよりもかなり広かったです。

やや細長い形なので、奥へと進んでみました。
すると、1メートル程の段差がありました。

その奥に、大きな堀切ハッケン(*´▽`*)

深さは5メートル程の、かなり大きな堀切でした。
ここで曲輪の細長い地形がブッた斬られています。
堀切の長さは20メートル程あります。

堀底に下りて右へ進むと、こんな感じになっていました。
堀切の底が通路のようで、その端が虎口っぽい感じになっています。
神社から登る道が無かったのは、裏側だったからのようです。
おそらく、集落から回り込んでココに至る道があったものと思われます。
◆歴史◆
狩野修理の城でした。
わかっているのはこれだけです。
「かのうしゅうり」のルビごとコピペされたサイト様がちらほら。
しゅうり・・・超気になりますwww
※歴オタなら「しゅり」と読みます
狩野修理が大崎義隆に仕えていた、なんてサイト様が1つだけありました。
その通りであれば、1590年に奥州仕置きを受けたことになります。
狩野氏は、真坂館を本拠とした一族です。
1189年の奥州合戦で功を立て、一迫川流域を与えられました。
室町時代に入り、狩野詮真が斯波家兼とともに下向したようです。
以後、周辺勢力との縁組を重ね、一大勢力となりました。
狩野氏には大崎教兼(1430~70年代に活動)の子が養子に入りました。
以後、真坂館の狩野氏は地名をとって一迫姓を名乗るようになります。
1588年の大崎合戦で伊達政宗に味方した一迫隆真が知られています。
所在地:宮城県栗原市一迫川口中町字町裏 GPSログダウンロードページ
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