2019/06/15
千貫森館/宮城県大崎市
千貫森館は地図では公園と書かれています。訪問日は2017年8月5日です。

事前のリサーチでは入口がわかりませんでした。
それでも「公園だからどこかから入れる」と信じてGo!!
何となく「入口ココかな?」という所から上がりました。

ちゃんとした道はありませんでした。
草が低いので、何となく「ココから上がれそう?」な所を登りました。
ここを登っていくと、途中からコンクリートの階段が現れますw

上がると平らな曲輪がいくつもあります。
曲輪は段になっているだけの、割とシンプルな構造です。

そんな中で、1か所だけ堀切があります


ちゃんと平らな曲輪もあります^^

こんな展望台?っぽいモノもあります。

草で覆われた入れない所も。
こういうのって、だいたい水の何かですよね?

横堀っぽいのもあります

ここまでが南側の曲輪群です。

城跡見たー!で下りかけましたが、振り返ったら白いの見えました。
それは、見てなかった北の稜線上にありました。
あ、ヤバイ

すぐ下から見ると、こんな感じです。

白い標柱のある曲輪に上がったら、中はシダがビッシリ

真夏だし、ちょっとココ入りたくないなぁなんて思いましたが・・・
標柱の側面に、小さな文字がビッシリ書かれているのが遠目に見えました。
・・・いつもの事だし、と、シダ野原へダイブw

奥は木陰のせいか、下草はありません。
手前からはシダで見えませんでしたが、標柱は土塁上にありました。
ここが主郭なんだそうです。
◆歴史◆
早川民部の城でした。
標柱にはそう書かれていますが、詳しい事はわかっていません。
早川民部ってどんな人物だったんだろう?と思い、ググってみました。
最初に出てきたのは浮世絵でしたけどw
細かい事は?ですが、大崎義隆の家臣で志田郡伊賀館主だったそうです。
大崎義隆は、1560年代から1600年頃にかけての大崎家当主です。
他のサイト様での記述を見ると、伊賀館=千貫森館でした。
「伊賀」はこの辺りの地名だったようです。
地名でない「千貫」は、名馬がここで千貫で買い取られた事に由来します。
その名馬は「生喰」で、源頼朝が佐々木高綱に与えた馬です。
佐々木高綱は生喰に乗り、宇治川合戦で梶原景季と先陣争いをしました。
生喰は生き物を食らう程の猛々しさから付いた名だそうです。
所在地:宮城県大崎市三本木新町1丁目 GPSログダウンロードページ
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