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千貫森館/宮城県大崎市

千貫森館は地図では公園と書かれています。
訪問日は2017年8月5日です。

【1】千貫森館

事前のリサーチでは入口がわかりませんでした。
それでも「公園だからどこかから入れる」と信じてGo!!
何となく「入口ココかな?」という所から上がりました。

【2】千貫森館

ちゃんとした道はありませんでした。
草が低いので、何となく「ココから上がれそう?」な所を登りました。
ここを登っていくと、途中からコンクリートの階段が現れますw

【3】千貫森館

上がると平らな曲輪がいくつもあります。
曲輪は段になっているだけの、割とシンプルな構造です。

【4】千貫森館

そんな中で、1か所だけ堀切がありますラブラブ

【5】千貫森館

ちゃんと平らな曲輪もあります^^

【6】千貫森館

こんな展望台?っぽいモノもあります。

【7】千貫森館

草で覆われた入れない所も。
こういうのって、だいたい水の何かですよね?

【8】千貫森館

横堀っぽいのもあります恋の矢
ここまでが南側の曲輪群です。

【10】千貫森館

城跡見たー!で下りかけましたが、振り返ったら白いの見えました。
それは、見てなかった北の稜線上にありました。
あ、ヤバイあせると登り直し。
すぐ下から見ると、こんな感じです。

【11】千貫森館

白い標柱のある曲輪に上がったら、中はシダがビッシリクローバー
真夏だし、ちょっとココ入りたくないなぁなんて思いましたが・・・
標柱の側面に、小さな文字がビッシリ書かれているのが遠目に見えました。
・・・いつもの事だし、と、シダ野原へダイブw

【12】千貫森館

奥は木陰のせいか、下草はありません。
手前からはシダで見えませんでしたが、標柱は土塁上にありました。
ここが主郭なんだそうです。


◆歴史◆

早川民部の城でした。

標柱にはそう書かれていますが、詳しい事はわかっていません。
早川民部ってどんな人物だったんだろう?と思い、ググってみました。
最初に出てきたのは浮世絵でしたけどw

細かい事は?ですが、大崎義隆の家臣で志田郡伊賀館主だったそうです。
大崎義隆は、1560年代から1600年頃にかけての大崎家当主です。
他のサイト様での記述を見ると、伊賀館=千貫森館でした。
「伊賀」はこの辺りの地名だったようです。

地名でない「千貫」は、名馬がここで千貫で買い取られた事に由来します。
その名馬は「生喰」で、源頼朝が佐々木高綱に与えた馬です。
佐々木高綱は生喰に乗り、宇治川合戦で梶原景季と先陣争いをしました。
生喰は生き物を食らう程の猛々しさから付いた名だそうです。


所在地:宮城県大崎市三本木新町1丁目 GPSログダウンロードページ

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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