2019/05/25
鶴巣館/宮城県大和町
鶴巣館は鶴楯城とも呼ばれた、黒川氏最後の居城です。訪問日は2017年5月3日です。

北側の入口にはこのように、白い標柱があります。
周りが綺麗になっているので、とても目立ちます


この道をズンズン進むと、八幡宮の鳥居が見えてきます。
車はココに停められます。
神社の背後の山が、丸ごと鶴巣館だった所です。

私は地図の軌跡どおり、神社の背後から直接山に入りました。
そこから反時計回りで進みましたが、しばらくはこんな感じです。
堀や土塁が小さくて藪に埋もれ、曲輪の段差がわかるだけの感じです。
北側はあまり面白味がないかもしれません。

手っ取り早く城跡っぽさを堪能したい方は、最初に主郭を目指して下さい。
ちゃんとした道があったので、そちらを紹介します。
下の地図で赤線で示したのがその道です。
神社の前の突き当りはこんな感じで民家があります。
何も知らなければ、ココを真っすぐ進もうとは思いません。
実は、白い車の脇に奥へと進む道があります。

奥へ進む道です。
草が刈られており、たぶん夏でも歩けそうな感じです。

道はそのまま山中へと続きます。

登り切った所に、綺麗に整えられた広場があります。
ここが四郭です。
ただし、ここまでは城跡らしい遺構は見られません。
城跡らしさを求めるとなると、ガッツリ藪との闘いになります


綺麗に草が刈られた四郭から、何やら怪しげなゾーンに続く道があります。
左側は上がって来た道で、右上にそこだけ木が伐られた感じの道。
この先にあるのが主郭です。

主郭はここだけ木がありません。
崩れちゃってますが、何となく祠があったように見えます。

周りはこんな感じです

まぁ、私、慣れてますからw

木々を掻き分けて一番奥まで進むと、足元に横堀が見えました


上から見てもよくわかりませんが、下りて見るとこんな感じです


そのまま堀底を反時計周りに進んでみました。
割と歩きやすい堀底でした^^

かなり進むと、上の曲輪までの高低差があんまりなくなりました。

よじ登った所が三郭です。
きれいに馴らされており、状態はとても良いです。

横堀に沿って更に奥へ進むと、ザックリと地面が裂けていました。
大きな堀切様がいらっしゃいました


堀切に沿って、低い土塁が残っています。

もちろん、下りましたとも(*´▽`*)
鶴巣館で一番の見所はココだと思います。

堀切の終端はゴルフ場に面しており、ここから先へは進めません。
三郭の城塁下は犬走状になっていたので、そこに沿って進みました。
某大聖典の図では三郭を横堀が囲んでいるので、本当は堀底です。
まぁ、こんな感じですけど


ぐるっと回って来たので、最初に紹介した参道に戻って来ました^^
◆歴史◆
天文の乱(1542-48)後、黒川景氏により築かれました。
黒川氏は最上氏から派生した大崎氏の一族です。
家紋は二つ両引きで、足利将軍家と同じです(`・ω・´)
黒川家当主は、将軍から一字もらっていた時期があります。
分家の分家ですら、とてもすごい家柄です。
黒川景氏は、伊達家庶流・飯坂清宗の子です。
養子になった時期は不明ですが、養子にさせたのは伊達稙宗です。
1519年に黒川景氏の嫡男が、将軍・足利義稙から一字拝領しています。
伊達稙宗に従っており、1536年の大崎氏の内紛にも関与しています。
1542年に始まった天文の乱では、もちろん伊達稙宗に味方しました。
乱は伊達稙宗が破れたものの、黒川景氏は当主の座を守りました。
そして、乱終結後に鶴巣館を築き、居城としました。
黒川晴氏が伊達政宗を裏切りました。
黒川晴氏は、1568年に家督を継いだ黒川家最後の当主です。
知勇兼備と評判で、伊達輝宗に従って活躍しました。
しかし、1584年に伊達政宗が家督を継ぐと、状況が一変しました。
伊達政宗は伊達家の方針をひっくり返し、最上家や大崎家と対立しました。
黒川晴氏ははじめは従っていましたが、1588年に大崎側に寝返りました。
伊達政宗は浜田景隆・留守政景を総大将に大崎領へ侵攻。
この時、大崎家臣の氏家吉継らが伊達軍に寝返りました。
しかし、突然の雪に阻まれて中新田城攻略に失敗。
撤退する伊達軍に黒川晴氏が奇襲攻撃を仕掛けました。
伊達軍は大敗し、殲滅寸前まで追い詰められました。
しかし、黒川晴氏は留守政景だけは撤退を許しました。
条件を巡ってちょっと揉めましたが、伊達政宗は大崎義隆と和睦しました。
丁度その頃に、伊達政宗が蘆名家を滅ぼして状況が一変しました。
それまで敵に囲まれていた伊達政宗が、一気に陸奥の覇者となりました。
1590年、廃城となりました。
豊臣秀吉による奥州仕置きにより、黒川晴氏が改易されました。
黒川郡は伊達政宗の領地となり、黒川晴氏は米沢に呼び出されました。
伊達政宗は黒川晴氏を殺すつもりだったそうですが・・・
娘婿の留守政景の命乞いにより、一命を取り留めました。
この時に鶴巣館は廃城となりました。
黒川晴氏は留守政景のもとで余生を過ごし、1599年に没しました。
所在地:宮城県黒川郡大和町鶴巣下草字迫 GPSログダウンロードページ
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