2019/05/21
若林城/仙台市若林区
若林城は、ある意味現役のお城です。訪問日は2017年5月3日です。

若林城は市街地の真ん中にありました。
ある意味現役なので、内部は見ることが出来ず。
ということで、外周の一部を見て来ました。
まずは南東の角から見た南側の堀跡です。
多分埋められていて、本当はもっと幅が広かったように見えます。

東側の真ん中です。
ちょっとだけ内側に入り込んだ所があります。
向こう側の土塁や塀も低くなっており、門の跡っぽい感じです。

上の写真は見たまんまなので、目一杯寄って撮りました。
邪魔な物が無いだけで、かなり見栄えが良くなりました


東側はこんな感じで手前に水路があります。
水路の右側には人の背丈よりも高いフェンスがあります。
東側でスッキリ見えるのはこの一箇所だけです。

北側です。
集合住宅?があってなかなか見えません。

北側の真ん中に一か所だけ土塁が見える所があります。
それがこの売店の所です。
売店なので入っても良さそうですが・・・
ちょっと気が引けます。

気が引けますが、見たい!という気持ちの方が勝りましたw
土塁の途中に2列ほど、木杭が並んでいます。

この売店の前に、説明板と城址碑があります


せっかくなので、パクります。
説明板は北から見ていますが、図も北が上です。
こうして見ると、先ほどの東側はやはり門跡でした^^
売店の脇も門跡ですが、カメラを向けるのがちょっと怖くて撮れず。
実はココ刑務所で、見張りの人が入口に居ました。
私、小心者なので

◆歴史◆
1628年、伊達政宗により築かれました。
1627年に江戸幕府に屋敷建設の許可申請を出し、okが出ました。
そこには「心のままに普請あるべし」とあったそうです。
ここでは「仙台屋敷構」と呼んでいましたが・・・
仙台藩内では「若林城」と呼んでいました。
伊達政宗は当初、主に仙台城で政務を執っていました。
しかし、広瀬川対岸の花壇という所に屋敷を建ててそちらに移りました。
さらに仙台城から離れた所に築いたのが、この仙台屋敷でした。
この周りに家臣も集め、ここで政務を執るようになりました。
伊達政宗は隠居はしていませんでしたが・・・
仙台城は子の伊達忠宗に任せ、幕府も大名扱いだったそうです。
そのため、若林城は「政宗の隠居城」とも呼ばれたそうです。
1636年、廃城となりました。
伊達政宗が没し、若林城は廃城となりました。
城内にあった建物は、仙台城の二の丸へ移されました。
若林城跡は「古城」と呼ばれ、城内は若林薬園となりました。
1879年、監獄になりました。
幕末の若林古城は荒れており、明治時代に警視庁が買い上げました。
そして出来たのが刑務所です。
はじめは土塁上にあったのは木の柵だったそうですが・・・
やがてレンガの塀になり、東日本大震災後にコンクリート塀になりました。
木の柵だった、往時の城の雰囲気があったかもしれません。
所在地:宮城県仙台市若林区古城2丁目(宮城刑務所)
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コメント
無題
2019/05/21 19:09 by トシrot URL 編集