2019/04/30
陣林城/宮城県丸森町
陣林城も相馬軍が伊達軍との戦で築いた陣の跡です。訪問日は2017年5月3日です。

大内まちづくりセンターの交差点から登城口方向を見た所です。
住宅街のこの道を真っすぐ進むと、山に入る道が現れます。

民家の前を通り過ぎて、山中へと入っていく道が見えます。
やったー!と思い突入しました。

山道はすぐにT字路になります。
私ははじめ左側に進みましたが、すぐに行き止まりとなりました。
T字路は右へ進むのが正解です。

すると、すぐの上の平坦地に上がります。
上がった所は畑で、左奥には民家も見えます。
城跡へは、畑に上がった所から右方向へ進みます。

畑から山中へ入る道があります。
道があって良かったε-(´∀`*)

わりとすぐに土の壁を通り抜ける所があります。
これ、虎口ですよね?

山道は堀底道っぽい感じで奥へと続きます。

しばらく進むと、道幅がかなり広くなります。
道自体が帯曲輪のような感じです。

道の左側はこんな感じです。
上が平らになっているように見えました。
私は短気なので、ここを登っちゃいましたw

城キチの予想通り、上は平坦面で曲輪でした(*´▽`*)

ここから端から端を探る感じで歩きました。
まずは元来た方向へ。
こっちの方が端が近そうでしたのでw
端っこは、土盛りの脇を通るような感じになっています。

この土盛りの先はこうなっていました


ここでUターンして奥の方へ。
はじめの曲輪の端が段差になっていました。

この段差の下が少し掘られた感じになっています。

次の小さな曲輪の先にも堀切があります。

次の曲輪の端は、こんな段差になっていました。

一番奥の曲輪です。
この外周を歩きましたが、これ以上奥には曲輪が無さそうな感じでした。

時計回りに外周を進むと、カギ形の虎口がありました。
曲輪はここが一番奥のようなので、ココから下りました。
城跡に入ったのは直登でしたから

虎口の外には城塁脇の道が続いており、元来た方へ戻りました。
◆歴史◆
ここも相馬軍の陣だったようです。
1565年に伊達稙宗が没すると、相馬家が伊具郡の領有を主張し始めました。
これは、隠居中の伊達稙宗が相馬家に領地を譲ると遺言したためでした。
しかし、伊達晴宗はこれを認めず、相馬家と伊達家の衝突につながりました。
相馬義胤は亘理元宗とともに伊具郡へ侵攻。
1570年に丸山城を攻略しました。
その後も毎年のように相馬軍と伊達軍は戦を続けました。
1584年に和睦した際に伊具郡は伊達家の領地に戻りましたが・・・
伊達軍は相馬領に侵攻するようになります。
相馬家と伊達家の軍事衝突は、伊達政宗の代まで続きました。
所在地:宮城県伊具郡丸森町大内横手 GPSログダウンロードページ
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