2019/03/17
別所館/福島県南相馬市
別所館は奥州相馬氏が下向した時の居館でした。訪問日は2016年8月4日です。

別所館の跡地には、相馬太田神社があります。
その目の前の道端には、こんな立派な石碑があります。
中央の石碑には「相馬豪発祥地孫五郎重胤公城地」と彫られています。
神社の境内ではなく、なぜその外側にあるのかは?です。

石碑の所から見た神社です。
まだ夜が明けたばかりに攻めて来ました。
手前のガードレールの所が堀跡っぽく見えますが・・・
そう見えたのは、つい今しがたです


境内の御由緒書きです。
ここには相馬重胤公についてバッチリ記されています。

鳥居から見た本殿です。
境内自体も微高地ですが、本殿は高台の上にあります。
こういった所が城館らしいです


社殿の周りは、うっすらとした土盛りで囲まれています。
建物からは離れているので、土塁だと思います。
ここが神社でなければ、とっくに潰されていたかもしれません。
◆歴史◆
三浦氏の居館でした。
相馬重胤以前は三浦国清が暮らしていたそうです。
ココ行方郡は、1189年に相馬師常の領地となりました。
それから100年以上経っており、ちょっと?です。
色々ググってみると、相馬重胤が到着した時に追い出したとあります。
三浦国清がどの系統の三浦氏なのかもサッパリですが・・・
とりあえず、元々居館として使われていた所、という事です。
1323年、相馬重胤の居館となりました。
相馬重胤は相馬師胤の後妻の子です。
相馬師胤は相馬重胤に家督を継がせると、遺言を残していました。
しかし、先妻の子・相馬胤氏が黙っている筈もなく、争いとなりました。
結果は下総の相馬本家は、相馬胤氏が継ぐこととなりました。
そのため、相馬重胤は父から譲り受けた陸奥国行方郡へ移りました。
1326年、小高城に移りました。
陸奥に着いてから築き始めた小高城が完成し、そちらへ移りました。
以後の別所館がどうなったのかは?ですが・・・
相馬重胤は敷地内に妙見神社を勧請していました。
現在は相馬三妙見社の一つである、相馬太田神社となっています。
所在地:福島県南相馬市原町区中太田字舘腰(相馬太田神社)
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