2019/03/10
寺山館/福島県棚倉町
寺山館には2016年7月30日に一度行ったことがありました。その時は道がわからず、諸兄同様東側から直登しましたが・・・
主郭で道を見つけつつ、また元の斜面を下っていました。
その道を調べて、再チャレンジして来ました。
訪問日は昨日(2019年3月9日)です。

国土地理院の電子地図を見ていると、城跡の北に点線の道があります。
城跡にはかすりもしませんが、等高線見てると近くまで行けそう!
そう思ってその道近辺をストビューで見たらありました。

前回主郭で見たのと同じ案内が、踏切脇にありました

再訪問のきっかけはこんな感じです。
そうなると、居ても立ってもいられません。
早速日帰りで行ってきましたw

矢印の方向を見ると、奥にも同じ案内があります。
こんな感じで、主郭までずっと案内があります


畑の脇を通り過ぎ「ここから山!」という所にコレがあります。
前回の苦労は何だったんだ、という位に色々あります


すぐに道が分岐し、案内は右を指しています。
国土地理院の地図にあった道は、この左側の道のようです。
脇に「近小PTA」が設置した「きけん」の赤い文字が。
大きなお子チャマの私は一瞬怯みましたが、進みます。

小さな溝を渡り、本格的に山の中へ。
雰囲気が城の入口っぽさを醸し出しています。

10メートル程先にも案内があります。
橋の右側に写っている斜面を歩いた形跡があるからのようです。
実はこの細~い尾根が、寺山館の物見台まで繋がっています。
本当に細くて両脇が急斜面なので、超危険です。
上に安全な道があるので、細尾根から登らない方がよいです。

ズンズン登って行くと、虎口っぽい雰囲気の所に着きました。
写真ではわかりにくいのですが、2段構えの虎口に見えます。
寺山館の主要部は、矢印の通り左側にあります。

右側の細い尾根を進んだ先には、物見台?があります。
狭い曲輪ですが、先端部からは麓の様子がよく見えました。
ここには小さな祠が2つ祀られています。
下の地図で、途中で左に出っ張った所がココです。

元の道に戻ると、つづら折れの道になります。
寺山館本体の斜面を行ったり来たりで登ります。
すると、両脇を土盛りで囲まれた所を通ります。
城キチならピンと来る虎口です


矢印の反対側には、細長い曲輪があります。
この真下を登城路が通っています。
入口を守るための曲輪のようです。
下の地図で、途中で右に出っ張った所がココです。

この曲輪内には、他の曲輪には無かったものが沢山ありました。
こぶし大程の石ころです。
敵が攻めて来たら虎口を塞ぎ、上から投げつけたものと思われます。

虎口を過ぎると、いよいよ平坦面が見えて来ました。
登城路は曲輪を回り込むようになっています。
曲輪の形をトレースしたかったのですが・・・
倒木がひどくて入れそうにありませんでした。

その一段上の曲輪の様子です。
登城路脇に虎口があり、入った所から見た様子です。

登城路が平坦な所に入り、これが最後の案内です。
前回見た案内がコレでした。

矢印の先にあるのが、3つの祠と説明板です。
リベンジ達成ですヾ(o´∀`o)ノ
ここまで来たら、我を忘れて城内探索開始です


主郭内は杉林となっています。
私は花粉症なのですが平気でした。
まだ寒くて花粉は飛んでいないようです。
地面に落ちていた杉の花は、まだとても小さかったです。

主郭の南端です。
某大御所様の図では、この先にも大きな曲輪が描かれています。
急な傾斜の細尾根ですが、歩いた跡があります。
私はバイク用の靴でしたので、ここは無理せず攻めませんでした。
前回はこっちから直登したようです。
帰宅してマイマップを見たら、直登ルートがこっち側でした

下の地図で、青いマーカーの下の出っ張った所がココです。

続いて反対側の北側へ。
主郭は北から東にかけて、低い土塁が巡らされています。
その北端から見た景色です。
深い堀で隔てられ、下りられません。

土塁に沿って東へ進むと、わかりやすい枡形虎口があります。
ここから堀底へ下りられます。

ちょっと寄り道で、堀切とは反対側へ。
こちらには、とても大きな竪堀が2本あります。
現役バリバリで、竪堀から先へは進めません


主郭から見えた堀切です。
前回もこれ見て悶絶しました

でも、これはまだ序奏です。

堀切の向こう側は、3段の巨大な土盛りがあります。
削ってこんな形にしたのでしょうが、巨大な土塁に見えます。
その土塁の高い所に登ると・・・

超巨大な二重堀切があります



深さは7、8メートルあり、まっすぐ下りることは出来ません。

堀切を辿って南へ移動すれば、堀切と土塁が低くなります。
端まで移動すれば、堀切を2本パス出来ます。
でも、城キチはそんな勿体ない事はしません。
堀底→土塁→堀底を行ったり来たりで堪能しました

下の地図で、主郭右上の軌跡がグチャグチャの所がココですw

堀切の向こう側にはまた曲輪があります。
この曲輪は北側に土塁があり、1か所開いています。
虎口のようですが、外は急斜面です。
なんのために開けられたのか?です。

曲輪の奥には、再び大きな堀切があります


この堀切で城域は終わりのようです。
堀切で切りたくなる場所ですが、土橋があります。
その先はだらだらと高くなるだけで、人工的な感じがしません。
私はここでUターンしたのですが・・・
後で地図を見たら、このすぐ先に林道が描かれています。
もしかしたら、林道からココに来れるかもしれません。
◆歴史◆

東館同様、ちょっとだけ補足します。
白河結城氏が築き、佐竹氏が攻め落とす。
そして佐竹氏が拠点として使ったという辺り、まったく同じです。
なので、落城したのは天文の乱のあった1542年頃と思われます。
この時の佐竹氏当主は佐竹義篤ですが、1545年に没します。
次は佐竹義昭が家督を継ぎますが、まだ14、5歳でした。
佐竹義昭は成人すると、周辺勢力を攻めて版図を拡大しました。
その勢いは凄まじく、常陸統一まであと一歩まで迫りましたが・・・
1565年に35歳の若さで急死しました。
そのため、佐竹氏による改修は1550~60年代前半と思われます。
所在地:福島県東白川郡棚倉町大字寺山字防ノ内~大字流字豊都
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