2019/02/27
小浜館/福島県富岡町
小浜館は小浜代遺跡の南側の台地端にありました。訪問日は2016年7月30日です。

小浜館のある富岡町は、東日本大震災で大きな被害を受けました。
地震から5年経ってから訪ねましたが・・・
当時はまだ居住制限区域で、壊れた街がそのままになっていました。
常磐道は車は通れるものの、バイクは通行不可。
そのため、浜通りの城跡めぐりは、北と南で分断されました。
また、当時はまだ常磐線に線路が無く、家は1階が潰れたままでした。
港には除染作業で生じた黒い塊が積まれ、イノシシが歩いていました。
橋も幹線以外は橋桁だけになっており、遠回りせざるを得ませんでした。
ここに来るルートに想定していた南側の橋も通れず・・・
国道6号線を通って、大きく迂回してやっと辿り着けました。
ここがその入口です。

上の写真で奥に見えていた説明板です。
小浜館のものかと思いましたが、小浜代遺跡のものでした。
小浜代遺跡は、6~7世紀の官衙跡と考えられています。
川沿いの高台なので、支配拠点に向いていたと思われます。

説明板は開けた空き地にあります。
説明板から北側は、集落があります。
ここも空ける前はきっと、住宅街だったかもしれません。

城館跡とされるのは、この空き地の南側です。
台地端に2つの曲輪が連なっていたと考えられています。

木々の茂る方へ進むと、地面に異変を感じました。
このビビビと来る感じ・・・

深さは1メートル程と浅いですが、これが堀跡です。
台地上は畑か宅地だったものと思われ、埋められちゃったっぽい感じです。

雑木林側から見ると、土塁があります。
堀→土塁となっているので、こっちが内側ですね♡

まぁ、「内部」はこんな感じですが

で、勘の鋭い方はもうお気づきだと思いますが・・・

さらに大きな堀が台地を横切っています

幅約10メートル、深さは5メートル程のかなり大きな堀跡です。

大きな堀の南側は神社の境内となっています。
土塁で囲まれている訳でもなく、知らずに歩くと城館跡とは気付きません。
この鳥居の前から、真っすぐな石段が下まで伸びています。
◆歴史◆
不明

ここも築城時期や城主などがわかりません。
富岡はおもに岩城氏の支配地域だった所です。
1534年頃に北から相馬氏が侵攻し、占領した時期がありました。
しかし、1570年に岩城氏が奪還しています。
南にあった天神山城同様、川の北岸にあります。
北上する軍勢を迎え撃つのに都合が良い立地です。
相馬氏が岩城氏の反撃に備えて構築したのかもしれません。
所在地:福島県双葉郡富岡町小浜
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