2019/02/26
天神山城/福島県楢葉町
天神山城は綺麗に草が刈られた綺麗な公園になっています。訪問日は2016年7月30日です。

城跡は天神岬スポーツ公園となっており、とにかく綺麗です。
ここに来る道も、途中から広くて立派になりました。
その全面芝生!ぐらい整備された公園の一角にこの案内があります。
名前は「山城」ですが、海に近い平坦地です。

上の写真の道は、公園を整備する際に通された感じがします。
土塁だけで見るとこんな感じで、なかなか迫力があります

説明板によると原型を留めているらしいのですが・・・
これだけガッツリ整備された公園だと、盛ったかも?とも思います。

一度土塁を見つけると、かなり複雑な形で続いています。
こうなると脳内はアドレナリンで満たされ、もう冷静ではいられませんw

どこが何とかお構い無しに、土塁に沿って徘徊しました。
ここの切れ目は、はじめからあった虎口っぽい感じがします。

こんな感じでフラフラしていると、この説明板を見つけました。
縄張図がバッチリで、文字もそこそこギッシリ。
理想的な説明板です


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ということで、いつも通りパクリます

こうやって見ると、土塁はちゃんと意味ある形を成していました。
当然といえば当然ですけどw
南西側の等高線がギッシリ詰まっています。
こちら側には木戸川があり、河岸段丘のようです。
北にはこの段丘を切り離すようにあやめ池があります。
実はここ、とっても守りやすい地形だったんですね!
歩いていても全く気づきませんでした


説明板から土塁の切通を通ると、立派な神社があります。
ここが北目天満宮で、図によると主郭だった所です。
こうしてみると、社殿が本丸御殿っぽく見えてきます


主郭もしっかり土塁で囲まれています。
土塁の外側はこんな感じで、足元はしっかり窪んでいます。
・・・やっぱり近世に重機で整備された土塁に見えます


帰りに立ち寄ったあやめ池です。
先ほどの図を見て、現地でも何かを感じ取ったっぽいです。
こうやって見ると、公園にありがちな水場にしか見えません。
やっぱり城跡には縄張図が必要です。

何も知らずにこれ見たら、城キチでも堀跡とは思いませんからね。
本当はこの何倍も広く深い堀だったのかもしれません。
◆歴史◆・・・史料に登場しない城です
築城年代、築城者、城主など全て不明です。
土塁を多用した平城のため、戦国時代末期の城と考えられています。
1980年に発掘調査が行われましたが、遺物は出土しなかったそうです。
そのため、築城が中止されたと考えられていますが・・・
こういう所、私はいつも戦時の陣跡?なんて思います。
地域的には岩城氏の支配地で、相馬氏と争奪戦を繰り返しました。
1534年ごろ、相馬氏が楢葉一帯を岩城氏から奪いました。
しかし、1570年に岩城氏が奪還しました。
佐竹義昭が岩城氏の家政に関与し始めた頃です。
岩城氏と争っていた相馬氏は佐竹氏ともヤリ合っていましたが・・・
伊達政宗と争うようになると、両氏と組むようになりました。
1590年の奥州仕置きも乗り切りました。
ということで、この辺りが最後に戦場になったのは1570年です。
相馬氏の勢力圏でした。
航空写真で見ると、木戸川河口の北側の台地を丸ごと利用しています。
北上してくる岩城軍を迎え撃つための拠点だったのかもしれません。
所在地:福島県双葉郡楢葉町北田(天神岬スポーツ公園、北田天満宮)
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