2019/02/23
白土城/福島県いわき市
白土城は岩城氏諸流白土氏の城でした。訪問日は2016年7月30日です。

平城から東へ走り、橋を渡って山の中へ。
細い道は勾配もカーブも急で怖かったです。
そんな山道を登る途中で、赤い鳥居が現れます。
その後ろには、細い尾根が階段状に連なっています。
この上に花地稲荷神社があります。
登っていませんが

神社が主郭北側の見張り台があった所です。

怖い山道が一変し、パッと開ける場所に出ます。
この切通になっている所が、堀切の跡です。
左側の綺麗な擁壁は、お寺の敷地となっています。
この辺り一帯は平地が段々になっています。
その1つ1つが白土城の曲輪だったそうです。

この切通の綺麗じゃない方に入っていく道があります。
はじめはそのまま載せようとしましたが・・・
地味すぎて文章だけでは表現出来ませんでした。
ということで、補助線入れてますw

はい、いつもの風景です

もともと草深いとの評判ですが、さらに真夏でしたのでw

ちょっと進むと、ウワッと見上げる所があります。
確か、この上が主郭、だった気がします。

草いっぱいですが、かなり広いことだけはわかります。
真夏なのでこれ以上深入りは出来ず。
このずっと奥に、最初に見た神社があるそうです。
◆歴史◆
長友館の岩城隆忠が移り居城としました。
築城年代は不明です。
元々は岩城清胤の居城でした。
長友館の諸流・岩城隆忠が攻め落とし、こちらに移ったそうです。
これは、岩城清胤が建てた龍門寺の寺伝にあります。
大館城を調べた時は、岩城隆忠は白土隆弘の孫と出てきたのですが・・・
岩城氏では鎌倉時代にも惣領の入れ替わりがありました。
そのため系図に混乱があるそうです。
岩城氏惣領としては岩城常朝(=白土孝弘)→岩城清胤→岩城隆忠です。
そのままつなげると、孫ということになります。
もしかしたら、岩城隆忠の父親が、岩城清胤と兄弟だったかもしれません。
・・・と、いろいろ想像するしかありません

岩城隆忠は伊賀氏を傘下に収め、同族の岩崎氏を滅ぼしました。
勢力を拡大した岩城氏は、白川結城氏や石川氏の領地も蚕食しました。
常陸の雄・佐竹氏とも争うなど、この頃が全盛期でした。
岩城隆忠の子・親隆か孫・常隆の代に、大館に居城を移しています。
その後、1602年に岩城氏が改易された時に廃城となりました。
所在地:福島県いわき市平北白土古宿
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