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白土城/福島県いわき市

白土城は岩城氏諸流白土氏の城でした。
訪問日は2016年7月30日です。

【1】白土城

平城から東へ走り、橋を渡って山の中へ。
細い道は勾配もカーブも急で怖かったです。
そんな山道を登る途中で、赤い鳥居が現れます。
その後ろには、細い尾根が階段状に連なっています。
この上に花地稲荷神社があります。
登っていませんがあせる
神社が主郭北側の見張り台があった所です。

【2】白土城

怖い山道が一変し、パッと開ける場所に出ます。
この切通になっている所が、堀切の跡です。
左側の綺麗な擁壁は、お寺の敷地となっています。
この辺り一帯は平地が段々になっています。
その1つ1つが白土城の曲輪だったそうです。

【3】白土城

この切通の綺麗じゃない方に入っていく道があります。
はじめはそのまま載せようとしましたが・・・
地味すぎて文章だけでは表現出来ませんでした。
ということで、補助線入れてますw

【4】白土城

はい、いつもの風景ですクローバー
もともと草深いとの評判ですが、さらに真夏でしたのでw

【5】白土城

ちょっと進むと、ウワッと見上げる所があります。
確か、この上が主郭、だった気がします。

【6】白土城

草いっぱいですが、かなり広いことだけはわかります。
真夏なのでこれ以上深入りは出来ず。
このずっと奥に、最初に見た神社があるそうです。


◆歴史◆

長友館の岩城隆忠が移り居城としました。

築城年代は不明です。
元々は岩城清胤の居城でした。
長友館の諸流・岩城隆忠が攻め落とし、こちらに移ったそうです。
これは、岩城清胤が建てた龍門寺の寺伝にあります。

大館城を調べた時は、岩城隆忠は白土隆弘の孫と出てきたのですが・・・
岩城氏では鎌倉時代にも惣領の入れ替わりがありました。
そのため系図に混乱があるそうです。

岩城氏惣領としては岩城常朝(=白土孝弘)→岩城清胤→岩城隆忠です。
そのままつなげると、孫ということになります。
もしかしたら、岩城隆忠の父親が、岩城清胤と兄弟だったかもしれません。
・・・と、いろいろ想像するしかありませんあせる

岩城隆忠は伊賀氏を傘下に収め、同族の岩崎氏を滅ぼしました。
勢力を拡大した岩城氏は、白川結城氏や石川氏の領地も蚕食しました。
常陸の雄・佐竹氏とも争うなど、この頃が全盛期でした。

岩城隆忠の子・親隆か孫・常隆の代に、大館に居城を移しています。
その後、1602年に岩城氏が改易された時に廃城となりました。


所在地:福島県いわき市平北白土古宿

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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