2019/01/24
小川城/宮崎県西米良村
小川城は、米良氏が江戸時代に居城としたお城です。訪問日は2018年12月31日です。

小川城へは「小川城址公園」を目指します。
ずっと走ってきた県道からは、こんな風に見えます。

川の向こう岸に見える、立派な石垣と塀に囲まれたお屋敷。
如何にもな雰囲気が漂いますが、実はここ、城主様のお屋敷です。
「城址公園」ですが、城跡はちょっと場所が違います

でも近いので、目印にはなっています。

上の建物は後世のものですが、石垣は正真正銘本物です。
あからさまにそうでない所もありますが・・・
雰囲気づくりには役立っています


お屋敷跡に入る門です。
曲りなりにも大名扱いの交代寄合。
もうちょっと厳重な造りで良かったかも?

お屋敷は、都之城っぽい感じのカッコイイお家です


城址公園の東側100メートル程の所に、山中に入る道があります。
左が小川城址公園、右が小川学校跡です。
小川小学校のあった所が、小川城の城跡です。
この道歩いてみれば良かったと、後になってから思うのですが・・・
面倒臭がりな私は、クルマで移動しました。

案内は無いので、位置だけ頭に入れてそれっぽい方向に曲がります。
山の方に上がる道をまっすぐ進むと、その突き当りが小学校跡です。
遺構は見当たりませんが、広大な平坦地がそれっぽさを感じさせます。

道を上がった所がココです。
先ほどの校舎は、ここから右に向いた所にあります。

ここにある石碑が城址碑です

裏側に簡単な説明文が彫られているので、ぜひご覧下さい^^
◆歴史◆
江戸時代に米良氏が本拠としました。
米良氏は菊池氏の子孫で、1500年代初頭に米良に移り住みました。
はじめの居城は銀鏡城で、戦国時代は村所城を本拠としました。
戦国の荒波を乗り越えた米良氏は、江戸時代になり小川城に移りました。
その時期はサイト様によりバラバラですが・・・
色々総合して想像すると、小川城自体はそれ以前からあったようです。
米良氏は徳川家康により、米良の地を安堵されました。
この時の当主が米良重隆です。
米良重隆には三人の男子がおり、はじめに長男が家督を継ぎました。
その後三男→三男の子と継ぎ、その次が次男の子・米良則重です。
以後は次男の家系が代々家督を継いでいます。
米良則重の代から小川城が本拠となりました。
そのため米良則重、またはその父の代の築城と思われます。
所在地:宮崎県児湯郡西米良村小川 GPSログダウンロードページ
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