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小川城/宮崎県西米良村

小川城は、米良氏が江戸時代に居城としたお城です。
訪問日は2018年12月31日です。

【1】小川城

小川城へは「小川城址公園」を目指します。
ずっと走ってきた県道からは、こんな風に見えます。

【2】小川城

川の向こう岸に見える、立派な石垣と塀に囲まれたお屋敷。
如何にもな雰囲気が漂いますが、実はここ、城主様のお屋敷です。
「城址公園」ですが、城跡はちょっと場所が違いますあせる
でも近いので、目印にはなっています。

【3】小川城

上の建物は後世のものですが、石垣は正真正銘本物です。
あからさまにそうでない所もありますが・・・
雰囲気づくりには役立っていますラブラブ

【4】小川城

お屋敷跡に入る門です。
曲りなりにも大名扱いの交代寄合。
もうちょっと厳重な造りで良かったかも?

【5】小川城

お屋敷は、都之城っぽい感じのカッコイイお家ですラブラブ

【6】小川城

城址公園の東側100メートル程の所に、山中に入る道があります。
左が小川城址公園、右が小川学校跡です。
小川小学校のあった所が、小川城の城跡です。
この道歩いてみれば良かったと、後になってから思うのですが・・・
面倒臭がりな私は、クルマで移動しました。

【7】小川城

案内は無いので、位置だけ頭に入れてそれっぽい方向に曲がります。
山の方に上がる道をまっすぐ進むと、その突き当りが小学校跡です。
遺構は見当たりませんが、広大な平坦地がそれっぽさを感じさせます。

【8】小川城



道を上がった所がココです。

先ほどの校舎は、ここから右に向いた所にあります。



【9】小川城



ここにある石碑が城址碑ですラブラブ

裏側に簡単な説明文が彫られているので、ぜひご覧下さい^^





◆歴史◆



江戸時代に米良氏が本拠としました。



米良氏は菊池氏の子孫で、1500年代初頭に米良に移り住みました。

はじめの居城は銀鏡城で、戦国時代は村所城を本拠としました。

戦国の荒波を乗り越えた米良氏は、江戸時代になり小川城に移りました。

その時期はサイト様によりバラバラですが・・・

色々総合して想像すると、小川城自体はそれ以前からあったようです。



米良氏は徳川家康により、米良の地を安堵されました。

この時の当主が米良重隆です。

米良重隆には三人の男子がおり、はじめに長男が家督を継ぎました。

その後三男→三男の子と継ぎ、その次が次男の子・米良則重です。

以後は次男の家系が代々家督を継いでいます。

米良則重の代から小川城が本拠となりました。

そのため米良則重、またはその父の代の築城と思われます。





所在地:宮崎県児湯郡西米良村小川 GPSログダウンロードページ

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なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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