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鵜木氏館/東京都大田区

鵜木氏館は多摩川沿いの矢口の渡し付近にありました。
光明寺はその館跡にあると考えられています。

鵜木氏館/光明寺

光明寺は環八の「藤森稲荷前」交差点のすぐ近くにあります。お寺の前にはいくぶんかクルマを停められるスペースがあります。環八を走っていると「やっぱり城跡だ!」と感じさせてくれます。


◆歴史◆

鵜木氏は江戸氏の庶流です。江戸氏はもともとは江戸城を本拠としていた秩父一族です。源頼朝に従って源平戦で功を挙げ、武蔵各地に所領を得ました。特に多摩川下流域には江戸氏の子孫が多くいらっしゃるそうです。

ここで起きた大きな出来事。それは1368年、室町時代のはじめ頃のことです。足利尊氏が没すると、新田義興が上野で挙兵しました。新田軍は連戦連勝で、多摩川沿いに南下して鎌倉に迫る勢いでした。

そこで関東管領・畠山国清は一計を案じました。それが江戸遠江守と竹沢左京亮による新田義興の騙し討ちです。

義興が軍勢を進めると、2人は偽って降伏しました。もともとは主従であったため旧交を温め、次第に信用されるようになりました。そして10月10日、名月の宴を催すと義興を誘いました。

矢口の渡しから舟に乗り月を愛でる筈でしたが・・・多摩川の真ん中辺りに差し掛かった所で舟底が抜かれました。義興と近臣は、待ち伏せていた遠江守と左京亮の手勢に討ち取られました。

その後一週間ほど経って、遠江守は矢口の渡しから舟に乗ろうとした時の事。急に空が暗くなったかと思うと雷鳴が轟き始めました。義興の騙し討ちに協力した船頭は、急いで舟を戻そうとしましたが・・・濁流に呑まれて沈み、溺れて死にました。

一方、これを聞いた遠江守は、別の場所から多摩川を渡ろうと移動し始めました。その移動中にすぐそばに落雷したそうです。この時落馬した遠江守は館へ運ばれましたが発狂し、一週間後に果てました。

江戸遠江守が雷神・新田義興から逃れようと転げ込んだのが、鵜木氏の館だとされています。この事を聞いた国清は、雷神と化した義興の霊を鎮めるために新田神社を建てたそうです。江戸時代に浄瑠璃で義興の話が流行ると、新田神社は矢のアイテムで大儲けしたのだとか。これが破魔矢の始まりだそうです。

すっかり話がそれました。肝心の鵜木氏ですが・・・わかりませんwww


所在地:東京都大田区鵜の木1丁目(光明寺)

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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