2019/01/07
水志谷城/宮崎県美郷町
水志谷城も伊東四十八城の1つで、奈須氏が城主でした。訪問日は2018年12月30日です。

城主の居館・水志谷囲があったとされるのが、水清谷神社です。
神社は1855年に現在地に移って来たそうです。
地名は「清」ですが、お城は「志」の字が宛てられています。

細長い地形で、段々高くなっていきます。

入口の幟は水清谷神社でしたが、社殿脇は水清谷金毘羅神社です。

神社から南西約250メートルの所に城跡があります。
麓から見るとこんな感じです。
下りてきてから撮りました。

城跡への道の1つが、この先の民家脇にあります。
人様のお宅にカメラを向けることが憚られ、手前で撮ってます。

というよりも、事前に予想した2か所からは城跡に行けず。
ここでも城キチの奥義を発動しました。
またしても逆巻きで紹介します。

入口はココです。
2つ上の写真の所から奥へ進み、ココから山に入ります。
仮に知っていても、私は躊躇って入りづらい所です。
知らずに山から下りて来たのがココでした。

ここからすぐに砂防ダムが見えます。
右脇から登ることができ、砂防ダム上で反対側に渡ります。

次の砂防ダムは、左脇から登ります。

2つ目の砂防ダムを登り切ると、地形が左右二股に分かれます。
左側へ少し入り、そこから真ん中の高い所に登ります。
ここは踏み跡はあるかもしれませんが、明確ではありません。

高い所の上からは、右端に道があります。
倒木がちょっと邪魔ですが、落ちないよう避けて下さい。

その先でまた道が見えなくなります。
ここは小さな沢を少しだけさかのぼります。

すると、今度は右側に上がる道が現れます。
下りて来たのでわかりましたが、下からだとわからなかったと思います。

この道を登ると、間もなく堀切様が現れます

ココで一番はっきりわかる遺構です。

反対側から見た所です。

ここから高い方に向かって、掘り込んだ道が数十メートル続きます。
知らずに辿り着くと山頂方向に進みたくなります。
それが狙いかもしれませんが、この先はただ標高が高くなるだけです。
私も途中で気が付いて「あぁ、やられた」と思いました。

城跡は、一番何も無さそうなこちら側にありました。
登って来たのと反対には、北側に下りる道があります。
この道がどこに繋がっているのかはわかりません。

細長い土橋?稜線?のような細い所を進むと、広い所に出ます。
ここが城跡の曲輪です。

あと、直登してきたので見つけましたが・・・
曲輪のすぐ下に、馬蹄形の犬走りがあります(^^)v
犬走りからも上がる所が無かったので、曲輪にも直登でした。
◆歴史◆
奈須氏の城でした。
築城年代や築城者は不明です。
すぐ南にある伊東四十八城の星原城主・小崎右近将監も奈須氏です。
奈須氏はこの辺りでは有力な氏族で、椎葉村を中心に栄えました。
那須与市の弟・宗久との子孫と伝わります。
奈須氏は江戸時代にも椎葉村を治めていました。
(1616年に千人ざらえの事件がありました)
水志谷はわかりません

所在地:宮崎県東臼杵郡美郷町南郷水清谷 GPSログダウンロードページ
宮崎県の城跡/なぽのホームページを表示 |
コメント