2013/06/30
白金長者屋敷/東京都港区
白銀長者屋敷は、目黒駅のすぐ東側にありました。
▲国立自然教育園の入口
目黒通りが首都高の下をくぐると、左側に広大な森林が見えます。ここが国立自然教育園です。入口にはいきなり「進入禁止」なんて書かれていますが・・・よ~っく見ると、関係者以外の「車」なんです。これ見てしばらく入るのためらいました


▲土塁
入口で300円払って入ると、いきなり道沿いに土塁が!あまりにいきなり過ぎて、最初はそれが土塁とは気付きませんでした。

▲園内にあった案内図を加工しました
・・・ということで、園内にあった案内図にちと手を加えてみました。手を加えたといっても、土塁の色を濃くしただけですがw自然園はかな~り広いのですが、こうやって見ると残っているのは一部なんですね。

▲土塁の案内板
園内に入ってちょっと進んだ所に、案内板があります。土塁は至る所で見られますが、土塁の案内はここ1箇所だけです。

▲館跡の案内図
園内には館の跡も残されています。周りは"ジャングル"と呼ぶに相応しい自然の宝庫ですが・・・ぐるっと囲む土塁が、そこに特別な空間があったことを感じさせてくれます。
"自然教育園"ということなので、草や木が茂り放題。都内でも中々見られない立派な土塁が沢山あるのですが、草木で見えづらいのが惜しいです。・・・ということで、見頃は草木の大人しい冬場でしょうね。
※開園時間、入園料等は、国立自然教育園の公式ホームページを参照下さい。
◆歴史◆
南北朝時代の応永年間(1394~1428年の間)に、柳下上総介が館を築いたとされます。上総介は南朝方として活動したようです。柳下氏は銀(=白金)を大量に保有していたことから「白金長者」と呼ばれていました。上総介の子孫は代々名主を務めたそうです。
1559年に編纂された小田原衆所領役帳では、太田康資の領地として記録されていますが・・・そのすぐ後、後北条氏と敵対したため、所領を没収されています。戦国時代の当地のことはよくわかりませんでした。
徳川家康が関東に移ると、暫くは徳川家の菩提寺となった増上寺が管理していたようです。1664年、高松藩主・松平讃岐守が下屋敷を構えました。明治時代には国有地となり、陸海軍が火薬庫として使用。現在は国立自然教育園として一般に開放されています。
所在地:東京都港区白金台5丁目(国立自然教育園)
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