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仲山城/宮崎県高千穂町

仲山城は高千穂を支配した三田井氏代々の居城でした。
伊東四十八城に挙がっている「高知尾城」の有力候補です。
まだそうだと比定はされていませんがあせる
訪問日は2018年12月30日です。

無断立入禁止のため、許可を頂いて見学させて頂きました。
 年末の早朝にも関わらずご対応頂き、ありがとうございました。


【1】仲山城

仲山城跡は現在、民間のキャンプ場となっています。
出入口付近には、無断での立ち入りを断ると何度も表示されています。
事前にこの事を知っていたため、許可を頂き見学させて頂きました。
キャンプ場入口から入ると、かなり広い平地になっています。
ここが城内で一番大きな曲輪でした。
オーナーの方曰く、入手した時ここは田んぼだったそうです。

【2】仲山城

ここから高千穂市街方向を見た所です。
すぐ下には数段の田んぼがあります。
おそらくこれらも曲輪だったと思われます。

【3】仲山城

反対側は、山に囲まれた平坦地が続いています。
オーナーの方曰く、城主の館はこの奥の方にあったそうです。
郷土史家の先生に連絡をとって下さったそうで、色々教えて頂きました。

【4】仲山城

高千穂太郎のお墓が西の森の中にあると教えて頂きました。
広場的な曲輪からそちらへ向かうと、左斜め手前に上がる道があります。
・・・ここも城跡らしい地形に見えてきました!

【5】仲山城

上がった所に、城址碑と説明板があります。
本当はお客様向けのサービスなのでしょうけど・・・
感謝の言葉しかありません。

【6】仲山城

背後から市街方向を見た所です。
ちょっとだけ城主様視線を味わって見たかったんです♡
ここが主郭のようです。

【7】仲山城

祠の後ろにも平坦地が続いていたので見てきました。
土塁などはありませんが、細長い平坦地が続いています。

【8】仲山城

元の道を奥へ進むと、左から道が合流します。
この地形、絶対に虎口ですね!

【9】仲山城

反対側から見るとこんな感じです。
キャンプ場への入口は後付けで、城の入口はここだったようです。

【10】仲山城

元来た道を振り返ります。
青と赤の何かの左に、白い標柱が立っています。
かすかに「仲山城跡」の文字が読み取れました。
この上が、先ほど見た細長い曲輪です。

【11】仲山城

虎口じゃない方へ更に進んだ所がココです。
左手前に土塁があり、奥に向かって細長い平坦地が続きます。

【12】仲山城

想定外でしたが、お墓のあるココも曲輪のようです。
後から『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ』の縄張図を見て納得。
ちゃんと曲輪のように描かれています。
印刷して現地に持参したのに、気付いていませんでした。
高千穂太郎のお墓にご挨拶して、次の城跡へ向かいました。


◆歴史◆

戦国時代まで三田井氏の居城でした。

平安時代までは、三毛入野尊の子孫と伝わる三田井氏が領主でした。
天慶~天暦の間(938~956年)に、大神氏から養子が来て継ぎました。
大神氏は豊後にある宇佐八幡宮の大宮司一族ですが、経緯は不明です。
養子となったのはその嫡男で、高千穂太郎政次と名乗るようになります。
高千穂氏は、鎌倉時代末頃から三田井姓を名乗るようになります。
仲山城がいつ築かれたのかは不明です。

伊東家→大友家→島津家の順に従いました。

三田井親好は、伊東義祐に従っていました。
当時、伊東義祐は縣(延岡)の土持親成と争っていました。
この両者の縁組をとりもち、和睦につなげたのが三田井氏でした。

1577年、伊東義祐が島津義久に敗れ、豊後へ逃れました。
すると、元々伊東家と争っていた土持親成が島津家に味方します。
島津方として、土持親成は伊東家領地の切り取り次第を始めました。
土持親成は高千穂方面にも攻め込む勢いでした。
三田井親好は伊東義祐の盟友・大友義鎮(宗麟)を頼ることとしました。
大友宗麟は伊東義祐の歎願を聞き入れて日向に侵攻。
土持親成を捕えて自害させ、さらに島津軍との決戦に挑みました。
しかし、1578年の耳川の戦で、大友軍は壊滅的大敗を喫します。
以後、大友家は島津家に圧迫され、次第に勢力を弱めました。

1585年、三田井家は島津家に人質を出して臣従しました。
1586年、戸次川の戦では、三田井家が島津軍の先陣を務め活躍しました。

1591年、三田井家が高橋元種に滅ぼされました。

1587年、豊臣秀吉が島津家を討伐し、島津家は降伏しました。
三田井家も豊臣秀吉に降伏しましたが、領地が宙に浮きました。
高千穂が安堵される訳でもなく、高橋元種に与えられた訳でもなし。
これは事務方のミスだったようです。
高橋元種は三田井親武と協議の上、豊臣秀吉の判断を仰ぐこととなります。
しかし、高橋元種は豊臣秀吉に三田井親武が謀反を企んでいると讒言。
そのため、豊臣秀吉は高橋元種に三田井氏の処置を命じました。
高橋元種は三田井家重臣・甲斐宗摂を寝返らせ、三田井氏を滅ぼしました。
生き残った三田井一族は許され、高橋家に従うこととなりました。

その後の三田井氏

高橋元種との戦で、三田井親武は甲斐宗摂に寝首を掻かれました。
家督はその嫡男・三田井鎮信が継ぎました。
しかし、三田井鎮信は讒言を信じて弟達を次々殺害。
自身も酒色に耽るようになり、1598年に病没しました。
高橋元種に都合良く物事が進んでいるような気がしますあせる
高橋元種は、三田井家を裏切った甲斐宗摂も1595年に滅ぼしています。


所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町向山 GPSログダウンロードページ

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なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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