2019/01/05
平城/宮崎県国富町
平(ひら)城は守永城の西南西約1kmにあった城です。訪問日は2018年12月29日です。
※最初のアップ以降に守永殿の所を修正しています

城跡への入口である、大乗寺駐車場前の道にこれがありました。
こういう物があるとは知らなかったので、かなり嬉しいサプライズです。
ココが守永城だったかもしれないという事前情報で来たんですけどね


いきなりのサプライズで、士気がグーンとアップしました

説明板から見た城跡は、こんな感じです。

道は北から西へ折れ、そのまま台地上へと続きます。
台地上は集落となっており、手前の杉・竹林が城跡らしいです。
という事で、杉林から探索開始です。

台地へ上がる手前に、少しだけ横一線に窪んだ所があります。
ちょろちょろと水が流れる水路があり、堀跡っぽく見えます。

道の左側は、数段の平坦地が杉林となっています。
土塁や虎口、堀など明確には見えませんが・・・
平坦地が連なっているだけでも十分可能性を感じます。

とは言え、これを「城跡です」と言ってもなかなか・・・w
曲輪かもしれませんし、後世の造作かもしれません。
ここは何ともいえない所です。

道の右側は、高さ10メートル程の高台となっています。
上がる道は無く、下から見て堀切っぽいものも無し。
何となく、ここが見張り台だったのかな?と予想だけします。

台地上は現在、畑と家が混在する集落となっています。
台地の上の広大な平坦地は、要害性を求めなければ城としては最適です。
ただ、集落内では堀や土塁の痕跡は見当たりませんでした。
◆歴史◆
守永城であれば、城主は内田四郎左衛門でした
それ以外、何もわかりませんでした

●2つの守永城●
東北東約1kmの所に、守永城とされる城跡があります。
こっちの城跡は小字名をとって、一般的には「平城」と呼ばれています。
しかし、現地にある説明板では「守永城」として紹介されています。
そこでは、守永殿こと伊東祐氏のものと伝わる墓が大乗寺にあるそうです。
大乗寺は、平城跡のすぐ東にあります。
「守永殿」と呼ばれた伊東祐氏ですが、城とのつながりが???です

素直に解釈すれば、守永城主ということになるのでしょうけど。
伊東祐氏は木脇伊東祐頼の孫で、八代城主・伊東祐広の子です。
説明板には「守永城は2つあったかもしれない」と書かれています。
伊東四十八城は永禄の頃なので、守永殿はその約200年前の人物です。
守永城が移転した可能性は無きにしもあらずです。
南北朝時代頃までの城であれば、ここの構造も納得いきます。
所在地:宮崎県東諸県郡国富町森永
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