2019/02/14
守山城/福島県郡山市
守山城は坂上田村麻呂が築いたと伝わるお城です。訪問日は2016年8月1日です。

城の入口です。
堀の手前に説明板があります。

堀はだいぶ埋められてるっぽい感じです。
見た感じは、もっと深く広かった感じがします。
城側に石垣が残っていますが、上の方が崩れています。
この崩れ方は、破却っぽいです。

堀の奥は小高い地形になっており、神社が鎮座しています。
神社オタではないのですが、この鳥居、カッコイイですね


城跡にある社殿って、妄想をMaxに膨らませてくれます。
お城を意識して建てた訳ではないのでしょうけどw

境内の端は、ほんの少しですが土塁っぽくなっています。
ガッツリ整備されているので、土塁なのかそうじゃないのか?です。
◆ザックリ歴史◆
坂上田村麻呂が蝦夷追討の際に築いたと伝わります
坂上田村麻呂が陸奥出羽按察使兼陸奥守となったのは796年。
征夷大将軍になったのが797年。
兵を率いて蝦夷を討伐したのは、801年から804年の事でした。
805年にも蝦夷討伐が計画されましたが、この年は中止されています。
以後は天皇の側近として活躍しています。
南北朝時代までは田村庄司氏の本拠でした。
田村庄司氏は坂上田村麻呂の子孫と称していました。
それでも本姓は平氏だったそうですけどw
南北朝時代は一貫して南朝方として活動しました。
1396年にあった田村庄司の乱で関東公方に攻め滅ぼされました。
戦国時代の1504年まで三春田村氏が本拠としました。
三春田村氏は田村庄司氏と同族ですが、北朝方として活動しました。
田村庄司氏滅亡後は田村氏惣領となり、田村郡を支配しました。
1504年、田村義顕が本拠を三春城へ移しました。
1590年、蒲生氏郷の城となりました。
伊達政宗に味方したため、田村氏は奥州仕置きで領地を失いました。
田村氏の領地は、会津の領主となった蒲生氏郷に与えらえました。
その後は会津の領主の交代に伴い、上杉氏→蒲生氏の城となっています。
1615年、一国一城令により廃城となりました。
所在地:福島県郡山市守山字三ノ丸
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