2018/12/16
愛宕山館/福島県須賀川市
愛宕山館は二階堂氏がはじめに築いた須賀川城と考えられています。別名は古須賀川城、琵琶首館、岩瀬山城などです。
訪問日は2016年8月1日です。

愛宕山館は現在、翠ヶ丘公園となっています。
その北側にあるのが琵琶池です。
見たまんま直観通りですが、ここは水堀でした


※図の方位は南が上、北が下です
いい図がゲット出来なかったので、苦し紛れの案内図です

愛宕山館は山頂を主郭とし、周囲に重臣の館を配置していました。
その大まかな位置を赤文字で追記してみました。
・・・あんまりわかんないですね


北側からは、こんな感じの石段を登ります。
ピンと来た方、たぶん正解です!
この先にあるのが、この山の名の由来となった愛宕神社です。
神様(を敬う人達?)って、ちょっと強引ですw

その途中、北側の斜面にかなり広い平坦地があります。
よそ様に載っている案内図では、養生広場と書かれていました。
往時からあれば、二郭に相当しそうな場所です。

石段を登り切ると、いきなり古い建物が現れました。
さらに上に登る石段も見当たらず、ここが山頂の愛宕神社です。

社殿の右脇には、愛宕山についての説明板が設置されています。
かなり古いもののようで、下の方の文字は消えて判読出来ません。
うっすら残った上の方の文字を読んでビックリ。
鎌倉時代末に二階堂行朝が築いた須賀川城だと書かれています。
ちゃんと予習もせずに訪ねると、後でこんな事になります。
しかも、今読んだので、先に書いた須賀川城の謎が一部解けました

須賀川城の説明板の内容も、これでしっくり来ました。

愛宕神社のある山頂部は、こんな感じでぐるっと土塁に囲まれています


愛宕神社の丁度反対側に、土塁の開口部があります。
この感じ、ネイティブ虎口です。
またしても、裏口登城をやらかしました


虎口から振り返った主郭部です。
手前が広く、奥が狭い涙形をしています。
「琵琶首館」と呼ばれたのは、この形に由来するそうです。

虎口の外側から見た土塁です。
来る者を威圧するような迫力があります


下りは北東側から。
こちら側にも土塁の名残が見られます。

途中、登る時に見た養生広場の反対側を通ります。
こちら側からは段差になっている様子がよく見えます。

この付近にも、土塁の名残が見られます。
養生広場は、曲輪だった可能性が高そうです


綺麗な道を下り切ると、公園の石碑がありました

◆歴史◆
鎌倉時代末、二階堂行朝が築いたとされます。
二階堂行朝は、鎌倉時代末から室町時代初期の人物です。
はじめ北条高時に仕えましたが、1326年に出家して行珍と号しました。
その後、足利尊氏・足利直義に仕え、幕府の政所執事を三度務めました。
政所は幕府の財政と訴訟を司り、執事はその長です。
今で言うと、財務大臣兼法務大臣といった所でしょうか。
室町時代前半は二階堂氏が半々位、後半は伊勢氏が世襲した役職です。
二階堂氏が須賀川にはじめに築いたのがこちらの城だったようです。
後に平城の須賀川城を築いたため、古須賀川城とも呼ばれています。
平城を築いた後も、詰めの城として戦国時代末期まで使われました。
所在地:福島県須賀川市愛宕山(翠ヶ丘公園)
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