2018/11/18
大寺城/福島県玉川村
大寺城跡は整備され、公園となっています。訪問日は2016年7月31日です。

城跡への入口は、南側の県道63号にあります。
東福寺の前にこの案内があります。

案内の所から城跡への道を見た所です。
すでに城内のような雰囲気です。
道の入口が虎口か門の跡のように見えます。

道を登り切った所が城跡公園の駐車場です。
ここもまとまった平地で、曲輪だったと思われます。
目の前にある建物はトイレですが、雰囲気を壊さないいいデザインです^^

トイレ脇から見上げた所です。
ハッキリ見える凸凹は、途中にある曲輪です。
どれも幅数メートルの小さなものです。

上から見るとこんな感じです。
土塁や虎口が無いせいか、要害堅固な感じには見えません。

一番上の主郭が、城内で一番広い曲輪です。
ここも土塁や虎口などはありません。
滑り台は、公園らしくしよう!という事でしょうか。
色合いが渋くて、違和感がありません。
◆歴史◆
平安時代に築かれたと伝わります。
具体的な築城年代や築城者は不明です。
石川有光が築き、長男の藤田光祐を城主にしたという伝承があります。
築城時は藤田鴫城と呼ばれましたが、13代めの時に改名されました。
1582年、石川本家に攻められました。
石川昭光と曲木信光が、大寺一族である塩沢高平の領地を侵しました。
これに反発した城主の大寺清光が挙兵し、石川本家と衝突しました。
油殻平での野戦で石川軍に破れ、大寺清光は大寺城に籠城しました。
籠城戦でも石川軍を撃退出来ず、大寺清光は石川昭光に降伏しました。
この時に三ヶ村を没収され、大寺氏の勢力は著しく低下しました。
大寺清光は石川昭光に叛く機会を伺い、密かに二階堂氏に内通しました。
1589年、石川昭光の城になりました。
1589年、伊達政宗が二階堂氏の本拠地である須賀川城を攻めました。
すると、大寺清光が二階堂氏方として須賀川城に入りました。
この戦は伊達軍の勝利に終わり、二階堂氏は滅びました。
そのため大寺清光は、石川昭光により領地全てを没収されました。
大寺清光は妻の実家を頼り、余生を終えたそうです。
大寺清光の子・大寺高光は伊達政宗に仕え、大寺家の家名は存続しました。
1590年、廃城になったと思われます。
豊臣秀吉の奥州仕置きにより、石川昭光は領地を没収されました。
仮に大寺高光の城だったとしても、同じ結果だったはずです。
この時に役割を終え、大寺城は廃城になったものと思われます。
所在地:福島県石川郡玉川村大字南須釜字舘坂
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