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赤堤砦/東京都世田谷区

赤堤砦は世田谷城の支城だったと考えられています。
世田谷城から北へ約1km。
その場所は六所神社か善性寺の辺りとされています。

赤堤砦/六所神社
▲六所神社

六所神社は1584年に服部貞信(貞殷?)により勧請されたそうです。年代的にまだ後北条氏が健在な時期ですが・・・w

貞信は宇治田原の呉服社で神職を務めており、徳川家康の伊賀越えで道案内の功があったとか。その苗字が示すとおり、服部半蔵の一族であります。後北条氏と家康は親交があったので、このような事もあったのでしょうか。1590年に後北条氏が滅びてからは天領となり、貞信が旗本に取り立てられ陣屋を構えました。

赤堤の地名は、赤い堤があったからだそうです。当時の赤堤一帯は松林で、江戸時代になってから開拓されたそうです。その時につけられた名前が「松原」。やっぱり地名にはそれ相応の由来ってものがあるんですねw


◆歴史◆

ほとんど上に書いちゃいましたが・・・古くは世田谷の吉良氏が、世田谷城の支城として築いたのが始まりです。吉良氏が世田谷城を築いたのが南北朝時代なので、それ以降ですね。

吉良氏は足利家の初期の庶流で、跡継ぎがない場合は足利家の家督を継ぐ家柄でした。将軍家とはとても近い家柄だったのです。そのせいか、関東武士の間ではとても大切に扱われてきました。古河公方の足利氏とは戦までしていたのにw

後北条氏が関東に進出した際にも手荒な事は無く、北条の姫を娶っています。これは徳川家康が関東に移って来た時も同じようで・・・吉良氏は蒔田の地に存続しました。

この時に世田谷は天領となり、前出の服部貞信が赤堤に小さな陣屋を構えたそうです。すでに六所神社はあったので、もう1つの候補地・善性寺の場所かもしれません。善性寺はその縁起が不明なのだそうですが、1700年代に建立されたとする説が有力です。・・・だとすると、その頃までに当地の服部氏は別の場所に移ったのかもしれませんね。


所在地:東京都世田谷区赤堤2丁目(六所神社 or 善性寺)

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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