2018/10/27
赤坂館/福島県鮫川村
赤坂館は鮫川村役場の真正面にあった山城です。訪問日は2016年7月30日です。

ここへ来るには、鮫川村役場がいい目印になります。
役場真正面の橋を渡るとここに辿り着きます。
当時よくわかんなかったのですが、公共施設ということで駐車ok!
・・・くらいの認識でした

私は綺麗な舗装道専用のバイクだったので、ここに停めて歩きました。
四ツ脚の原動機付車両であれば、この脇の未舗装道を更に進めます。

建物脇の登城路入口に、とても綺麗な案内図がありました


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せっかくなので、城キチの欲しい部分だけ頂きマス(´~`)
現在地目線なので、西が上になっています。
図の右に突き出た道は、地図では上にとんがっています!

図の通り、登城路はお城の脇をぐるっと回り込んでいます。
道から見上げるとこんな感じで、直登は無理っぽい角度の城塁です。
城塁の途中には、数段の帯曲輪があるように見えます。
この城に攻め込んだら、帯曲輪から弓矢や鉄砲弾が降って来そうです。

登城口から10分程歩くと、何となく上がって来た気になります。
遺構がよくわからないまま辿り着いたココが、主郭の北虎口です。

その右脇のコレも虎口だと思ったのですが・・・
堀切?なのかもしれません。
林道を通した時に削られたのか?とおっしゃる方もいますけどw
案内図では、ここを道が通っています。

主郭内部です。
中央部が少し高くなっており、そこに四阿があります。
小山の頂上を平らに馴らした、いかにも領主様の居城という感じです。
◆歴史◆
赤坂氏のお城でした。
赤坂氏は石川氏の一族で、鎌倉時代からここに居たようです。
赤坂氏は戦国時代に佐竹氏に従いました。
1590年、赤坂氏は小田原攻めに参陣しなかったため奥州仕置で改易。
この時に赤坂館は破却され、廃城となりました。
詳しい所までは調べていませんが・・・
ググると『鮫川村史』の目次が出てきました。
ここに、赤坂氏の出来事が列記されています。
・・・目次ですからw
ザックリですが、年表風に並べると以下の通りです。
鎌倉時代
・蒲田村をめぐる争い 石川氏と蒲田村 北条氏被官石川氏
・石川氏一門の熊野参詣
南北朝の争乱と石河蒲田氏
・中先代の乱と石河蒲田氏 石河蒲田兼光らの軍忠
・石川一族の働き 兼光・親光らのはたらき
・霊山城攻めに参加した兼光と親光
蒲田・赤坂氏の成立
・蒲田兼光・蒲田親光の名乗り
・蒲田光広と赤坂光近 光近、小山義政の乱へ
・奥州探題の争いと石河蒲田氏 赤坂村の成立と赤坂氏
関東公方支配下の鮫川
・赤坂鶴寿丸と結城満朝の一揆契約
・蒲田光広・光重父子の争い
・赤坂光政ち石川一族等の一揆連判状
・赤坂氏惣領光政と篠川・稲村公方
白川氏影響下の赤坂氏
・赤坂氏、菊田荘に所領を得る 蒲田氏の滅亡と赤坂氏
・幕府・関東公方の争いと石川氏一族
・赤坂氏、白川氏一家となる
・南北朝期・室町期の蒲田・赤坂氏
戦国争乱の開始
・白川氏の衰退と佐竹氏の北進 伊達氏天文の乱
・石川稙光・晴光の参戦 赤坂・石川氏の同盟
赤坂氏と佐竹氏の同盟
・佐竹氏の南郷掌握 赤坂氏の佐竹氏服属
・石川氏の浮沈 佐竹と蘆名の攻防
・石川父子の離城 浅川氏の佐竹服属
・佐竹氏の白川侵攻 佐竹氏への抵抗
・佐竹義広の白川入嗣
赤坂氏の佐竹臣従
・赤坂合戦『奥羽永慶軍記』の赤坂合戦
・赤坂氏の佐竹参陣 玉里合戦
・太平合戦 豊臣秀吉の惣無事令
・伊達方浅川・石川氏との合戦
・赤坂氏の一族・家臣と南郷農民
奥羽仕置と赤坂氏
・小田原落城 赤坂城の破却 奥羽仕置
・豊臣大名佐竹義宣 赤坂朝光の牢人
目次だけですが、何となく流れは掴んだ気になりました

ちゃんと読みたい方は、役場が有償で配布しているそうです。
図書館にもあるようですけどw
所在地:福島県東白川郡鮫川村大字赤坂中野字館山
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