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喜多見屋敷/東京都世田谷区

喜多見屋敷は江戸氏の子孫・喜多見氏の館で、
現在の氷川神社・慶元寺辺りにありました。
訪問日は2013年5月5日です。

喜多見屋敷/氷川神社
▲氷川神社

氷川神社は740年に創建され、素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀っています。元々は多摩川近くにありましたが、延文年間(1356~60)に多摩川洪水のため流失しました。1570年に江戸頼忠により現在地に再建されました。

喜多見屋敷/慶元寺三重の塔
▲慶元寺の三重の塔

氷川神社の前の細道を通って墓地の脇を通っていると、三重の塔が見えました。世田谷区にもあったんですね、お寺の塔!・・・なんだかだんだんお寺&神社巡りみたいになってきましたあせる

喜多見屋敷/慶元寺
▲慶元寺

細道の先はパッと広い空間があり、慶元寺の本堂に出ました。慶元寺は1186年、江戸重長が江戸城内に開基した天台宗のお寺でした。室町時代中頃に江戸氏が当地に移った際に、浄土宗のお寺として移されました。

1593年に喜多見氏初代・勝忠が再建・・・てことは、小田原征伐の際に焼けたのでしょう。江戸時代には幕府から10石の御朱印も拝領しました。江戸氏改め喜多見氏の館は、慶元寺の前にあったそうですが・・・今は跡形もありません。


◆歴史◆

喜多見屋敷は、江戸氏とその子孫である喜多見氏が暮らしていた館です。江戸氏は平安時代末、平家討伐の功として武蔵七郷を与えられました。木田見郷はその中の一郷です。

江戸氏はその名の通り江戸城を本拠地としていましたが・・・室町時代に太田道灌により江戸城を奪われ、木田見の地に移りました。以後、江戸氏の本拠地は木田見となります。

戦国時代には後北条氏に属し、世田谷・吉良氏の家臣となりました。1590年に豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼすと、吉良氏とともに下総へ逃れました。その後は徳川家康に仕えるようになり、木田見の地を安堵されました。この時に地名・姓ともに「喜多見」に改めています。

江戸時代の喜多見氏は旗本として家名を保ちましたが・・・徳川綱吉の時代には側用人となり、2万石の大名となりました。しかし、1689年に突然改易され、喜多見氏は所領を没収され、屋敷は廃されました。

改易の理由は・・・
・従兄弟の家で刃傷沙汰があった
・生類憐れみの令について諫言した
などが考えられますが、現在の所は不明です。


所在地:東京都世田谷区喜多見4丁目(慶元寺・氷川神社)

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喜多見藩

江戸幕府とは別の小幕府が今の世田谷区の端にあったこと自体を最近知りました
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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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