2018/07/31
神指城/福島県会津若松市
神指城は未完成の城でした。訪問日は2016年8月2日です。

国道49号の東西の延長線上の西側に、高瀬の大木があります。
会津若松市街側からは、こんな感じに見えます
ここが神指城の二の丸の北東端の角の土塁です。

高瀬の大木のところにある説明板です。
目のいい方は文章読めるかもしれませんねw

「高瀬の大木」の正体はケヤキです。
沢田城でも樹齢400年超のぶっといケヤキがありました。
この時代はやったのでしょうか?

近くにあった別の図です。
図の黒が濃い所が残っている部分です。

高瀬の大木から真西に見えるのが、二の丸の北西の角です。

高瀬の大木から本丸部分を見た所です。
城内なのに、田んぼの向こう側にあります


「そこ」に行くと、超イイものありました




説明板と図を拡大表示
本丸跡にある説明板です。
字ちっさいですが・・・
気合で読んで下さい


ここは一応観光客向けに整備された感じがします。

まぁ、こんな感じで気合十分に見えます。

その中の1つです。
石垣っていうので期待しましたが・・・
石垣、ですねw

まぁ、こんな感じで、中をじっくりという所ではありません


二の丸の南西の角にあるのが如来堂です。
神指城の土塁の角だけが、田んぼの中に点在しています。
これらはだいたい木が茂っているので、遠目によくわかります。

二の丸の南の角は、田んぼの真ん中にポツンとあります。
平城はだいたい綺麗サッパリ何も無くなることが多いのですが・・・
ここは角だけが残っている、奇跡的な感じの城跡です。
◆歴史◆
1600年3月、上杉景勝により築城が開始されました。
1598年、上杉景勝が越後から会津120万石に移されました。
その本拠地として築き始めたのが神指城でした。
築城は1600年3月に開始され、延べ12万人が動員されました。
直江兼続指揮のもと、本丸と二の丸の土塁と堀まで完成していました。
城は総石垣の近代的な平城で、会津若松城の倍の広さだったそうです。
1600年6月、築城が中止されました。
上杉景勝と徳川家康の間で戦が始まりました。
徳川家康は全国の兵を率いて、会津を目指し出陣。
このため、神指城の築城が中止されました。
この戦はそのまま関ヶ原の戦いへと移行。
関ヶ原で徳川家康が勝利すると、上杉景勝は降伏。
直江兼続とともに上洛し、徳川家康に謝罪しました。
上杉景勝は米沢30万石へ移され、神指城は廃城となりました。
その後、会津は蒲生秀行→加藤嘉明の領地となりました。
1631年に加藤明成が家督を継ぐと、鶴ヶ城の改修を開始しました。
鶴ヶ城は、1611年の大地震で破損したまま放置されていたのでした。
この改修に、神指城の石垣が使われたそうです。
所在地:福島県会津若松市神指町
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