2018/07/29
陣が峯城/福島県会津坂下町
陣が峯城も雲雀城と同じく崖端城でした。訪問日は2015年8月7日です。

城跡の入口です。
大きな白い看板の脇に、木と同じ色の細い標柱が立っています。
城キチですもの、見落としません(`・ω・´)

入口から城内を見たところです。
平坦な砂利道の先に、白い城の建物が・・・w
チラッとですが、イイもの見えてます


入口は、外堀と内堀を貫いています。
城内を見る立ち位置で、左を向いて見える外堀です。
ここの堀底を歩きたいとは思いませんね


同じ位置で、今度は右を見たところです。
こちらは堀の形がはっきりわかります。

数メートル進み、再び左を向いて見える内堀です。
外堀よりも深く、城内側が高くなっているのがわかります。

同じ位置で右を見たところです。
こちらもさっきの続きの内堀ですが、ちょっと浅いように見えます。

入口から奥に見えた白い建物です。
イイものは、図まで入った思ったよりイイものでした


そのイイものです。
左下の壺はどうでもよくて、右上に素晴らしい絵が描かれています

というのは冗談で、鏃や陶磁器はいずれも焼け跡があったそうです。

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せっかくなので頂きます


城内の様子です。
今でもせっせと兵糧を蓄えているようです♪
◆歴史◆
城氏の会津八館の1つと伝わります
『会津古塁記』では「南宇内村塁」の名で登場します。
その内容は
東西五十間南北七十六間陣峯城と号す。
右同断八舘ノ内。家臣沖(中)野太郎を置く。
ここに「陣峯城」という名も書かれています。
会津八館は、越後の城重則が988年から991年にかけて築いた城館です。
会津への勢力拡大を目論んだのですが、慧日寺に敗れて自害しています。
平安時代から鎌倉時代の城館でした
築城者や出来事などは不明です。
説明板に書かれている内容をザックリまとめると・・・
発掘調査の結果、焼けた陶磁器や鏃などが見つかっています。
そのため、ここが攻められ焼かれたと推測されます。
その中には税の基準となる秤の一部も見つかっています。
当時の会津は蜷河荘という摂関家の領地がありました。
九条兼実の『玉葉』に登場する「藍津之城」だったと考えられています。
所在地:福島県河沼郡会津坂下町宇内
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