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一乗谷城/福井市

一乗谷城は、言わずと知れた朝倉氏の本拠地です。
訪問日は2018年7月15日です。

【写1】一乗谷城
復原街並み入口(南口)

今年4月に続日本100名城のスタンプが始まりました。
集め始めるとハートに火がついてしまいますよねメラメラ
それまで押してなかった100名城と合わせて集め始めました。
プラス、ここの山城部分は未攻略。
山城なので、本当は春先がいいと思っていましたが・・・
来ちゃいましたラブラブ
この日は降水確率0%で、最高気温は体温より高い予報。
良い子の皆様はマネしないことをお勧めしますあせるあせるあせる

日本100名城スタンプ設置場所
【写2】一乗谷城 復原街並みの南北の出入口
 開場時間 9時~17時(入場は16時半まで)
 休場日 年末年始
 入場料 210円、中学生以下無料

さて、大本命のスタンプゲットです。
これだけで次へ行ってもいいのですが・・・
予定より1時間早く着いたので、復原街並みを見て来ました。

【写3】一乗谷城
復原街並み

ゴーストタウンw
・・・そりゃ誰も住んでいませんからあせる
お昼前でしたが、既にうっすら汗をかく陽気。
日本家屋って涼しいんだよね?と入ってみると・・・
涼しかったです雪の結晶
今は真夏なので、冬の事は考えたくありませんけどw

【写4】一乗谷城
朝倉氏居館跡と一乗城山

さて、北口から街並みを出て、山城の方に向かいました。
道から見ると、唐門のある館跡越しに城山が見えます。

【写5】一乗谷城
唐門

せっかく来たし、時間も余ってるしで、とりあえず見に来ました。
さすがに連休とあって、最大の見所である唐門の前には人が絶えません。
この時はおじいちゃんと女の子が、橋の上で鯉に餌をあげていました。
その微笑ましい光景を前に、カメラを構えて固まる観光客達・・・
このフレームの右側には、そんな光景がありましたw

皆さまご存知だとは思いますが・・・
この唐門は朝倉氏時代のものではなく、後世建てられたものです。
有力な説は、豊臣秀吉が朝倉義景を弔うため寄進したものだそうです。

【写6】一乗谷城
朝倉氏居館跡

唐門の内側です。
水堀と土塁に囲まれた広大な敷地に、建物の跡が示されています。

【写7】一乗谷城
朝倉氏居館跡の南側の土塁

この居館を囲む土塁の中で、一番高い所が南西の隅櫓跡です。
ここから山側を見ると、奥に土塁の向こうにある堀が見えます。
こうして見ると、居館部分ですらかなりの規模であったのがわかります。

【写8】一乗谷城
朝倉孝景(7代目)のお墓

居館の土塁の外側から上に向かう道があります。
一乗谷城の案内図では、居館のすぐ上から登るルートが描かれています。
その登城口を目指して上へと進みました。
すると、道はT字路の行き止まりとなり、その向かいにお堂があります。
これは「孝景公墓所」と書かれていましたが・・・
現地であちこちに案内の出ている「英林塚」です。
ここにはそうは書かれていないので、どこだろう?と探しましたけどあせる

「朝倉孝景」でググると7代目と10代目の2人がヒットします。
ここに祀られているのは7代目の方の朝倉孝景です。
朝倉孝景は・・・長くなりそうなのでザックリ書きます。
肖像画が北条早雲に何となくソックリです。
そういえば同じ年代ですねラブラブ
・・・あっw
朝倉孝景は、朝倉氏で初めて越前守護になった人物です。
応仁の乱の頃の人物で、斯波氏に仕える越前守護代でした。
しかし、足利義政と細川勝元から守護就任の密約を持ち掛けられます。
そして、主家・斯波氏の西軍を裏切り、東軍に寝返りました。
これが勢力バランスを大きく崩し、応仁の乱が終結に向かったそうです。
乱終結後に密約通り越前の守護となりますが・・・
斯波義廉や甲斐敏光など、旧主家勢力との争いが続きます。

【写9】一乗谷城
蛇谷コースの入口

英林塚のすぐ近くに、バリケードで閉ざされた道があります。
ここが蛇谷コースと呼ばれる登城路の入口です。
こっちから登って別のルートから下りる腹づもりでしたが・・・
これではここから登る訳にはいきませんショボーン
気持ちを切り替えて、下る予定だった馬出コースから登ることにしました。

【写10】一乗谷城
八幡神社【登城開始】

蛇谷コースの入口から横移動すること約1km。
こちらからは山上へ登ることが出来ます。
復原街並みから遠いので、近くまで車で移動することをお勧めします。
私はそんな事は知らなったので、炎天下を歩きましたあせる

【写11】一乗谷城

登山口にある案内です。
赤●が登城路の端っこに付いてます。
当たり前ですがあせる
この図ではピンと来ませんが、ここから想像を絶する登山が始まります。

【写12】一乗谷城
登り始めの道

神社脇から登る道は、車も通れる綺麗な道です。
さすが超有名どころラブラブ
この時はまだ知りませんでした。

【写13】一乗谷城
【登城口から4分】

馬出しの脇から山上に登る道が分岐します。
ここから山道らしい道に変わります。
一直線の道が上に伸びています。

【写14】一乗谷城

さっきまでとは違い、足元は石ころ交じりの悪路になります。
おまけに沢とは言わないまでも水が流れています。
靴は登山向けの底がしっかりしたものがいいです。

【写15】一乗谷城
【登城口から10分】

ちょっと登って息が切れた頃に、石垣が道を塞いでいます。
まぁ、城キチなので、パッと見ただけでわかりましたけどw
・・・というのは嘘です。
こうやって写真撮ってますからあせる

この時点でかなり息が切れており、喉がカラカラでした。
砂防ダムの裏には小さな沢があり、生まれて初めて川の水を飲みました。
喉を潤したことで息を吹き返し、さらに先へ進む気力が沸きました。
こんな事他人に勧めていいものかと思いますが・・・
丸1日以上経った今でも、特に異常はありませんあせる

【写16】一乗谷城

砂防ダムのすぐ裏に、あと1kmと小見放城の標示がありました。
登城口が1.5kmだったので、3分の1進んだことになります。
小見放城の説明には、大きな堀切や土塁があると書かれていました。
せっかくここまで来たのだから見ようと思いましたが・・・

【写17】一乗谷城

周りはこんな感じで、どこが何やらサッパリわからず。
やっぱり、来る季節を間違えたようですあせる

【写18】一乗谷城

小見放城の案内の所からは、堀底のような登城路が続きます。
はじめは堀底道みたいラブラブなんてはしゃいでましたが・・・
傾斜がきつく、思った以上に体力を消耗します。

【写19】一乗谷城
【登城口から18分】

息を切らしながら、ようやくたどり着いた「山城まで0.8km」
登城口から城跡まで半分のちょっと手前です。

【写20】一乗谷城
拡大表示

図では、半分よりもちょっと進んだように見えます。

【写21】一乗谷城

1km、0.8kmと続いたので、0.2kmごとにあるのかと思いましたが・・・
0.6kmの案内はまだかと進みますが、なかなか次が現れず。
まだまだこんな道が続きます。
時間を気にしながらも、ほぼ10メートルおきに休憩しました。

【写22】一乗谷城
【登城口から55分】

そんな感じでようやく表れた「次」です。
あと200メートルです。
「あと●メートル」を出すなら、等間隔に置いて欲しいですね・・・
次が現れないと、マジで何度も心が折れそうになりましたあせる

【写23】一乗谷城

このすぐ近くに、山上遺構の説明板がありました。
それまで見なかった、山上遺構の図まで付いています恋の矢恋の矢
恋の矢



【写24】一乗谷城

拡大表示



せっかくなので、大きく載せます。

目指すゴールはあと少し!

ここで気力・体力ともに完全復活しました。



【写26】一乗谷城

案内のある平場です。
それまでの急な登り坂から一転して、落ち着いた平場となっています。
おそらく、ここに門があったのではないかと思います。

【写25】一乗谷城

ただ、ここで道が分岐していて、どっちに進むか悩みました。
というのも、登れなかった蛇谷コース方向の案内もあったからです。
道を間違えたら、せっかく登って来たのに下りてしまう・・・
そんなことを考えたら、余計に変な方向には進めないと感じてしまいます。
唯一の手掛かりはこれ。
結果オッケーでしたが、この一乗城山方向の道へ進んで下さい。

【写27】一乗谷城

一乗城山方向に進む道はこんな感じです。
それまでと比べてちょっと草が多くなっています。

【写28】一乗谷城
【登城口から1時間8分】

ちゃんと城跡に向かっているのだろうか?と不安でいっぱいでしたが・・・
不動清水にたどり着き、進んでいる道が正しいと確信出来ました。
その名の通り湧き水があったので、ここでもたっぷり水分補給をしました。

【写29】一乗谷城
【登城口から1時間12分】

不動清水からちょっと登ると、左側にかなり広い曲輪が現れました。
やっと着いたのかな?と思い、さらに進むと・・・

【写30】一乗谷城
【登城口から1時間13分】

最後の坂を登った先に「千畳敷」と書かれた案内がありました。
それまでの山道からは想像もつかない広さ。
思わず声が出ちゃいました。
何と言ったかは、行ってみればおのずと答えが出ますw

【写31】一乗谷城

千畳敷の入口の右脇に、隣の曲輪を隔てる土塁があります。
この土塁がなければ、千畳敷は二千畳敷になりそうな広さです。
この奥にも、虎口のある曲輪があります。
宿直(とのい)というその曲輪からは、遠く日本海まで見渡せました。

【写32】一乗谷城

一の丸へは、千畳敷の奥から道が続いています。
遠目にはちょっと道が見えづらいのですが・・・
登って来た道をまっすぐ進む感じです。

【写33】一乗谷城

千畳敷からの道を登ると、こんな所に出ます。
この上が一の丸で、これはその入口の虎口か?なんて思いました。

【写34】一乗谷城
【登城口から1時間23分】

さっきのは虎口ではなく、稜線を越える道でした。
人が歩くうちに、道の部分だけ凹んだようです。
その先で道が分岐しており、案内がありました。
一の丸へは、鋭角に進むようです。

【写35】一乗谷城

説明板には、このすぐ後ろに堀切があると書かれていました。
これがその堀切です。
一乗谷城で堀切が見れるとは、まったく想像していませんでした。

【写36】一乗谷城

案内の所から見える一の丸への道です。
千畳敷から登って来たのが右側の道です。
ここはストレートに登らせないための仕掛けだったようです。

【写37】一乗谷城
【登城口から1時間27分】

ちょっと進むと、一の丸の案内が現れました。
案内のある所は曲輪っぽくなかったのですが・・・
下の説明文を読むと、背後にある高い所が曲輪なのだそうです。
上がる道が見当たらなかったので、案内と一緒に撮りました。

【写38】一乗谷城

一の丸から二の丸への道です。
一の丸から続く稜線が、道の左側に続きます。

【写39】一乗谷城
【登城口から1時間28分】

一の丸と二の丸の間は、2つの堀切で分断されています。
1つ目の堀切がこれです。
堀切様大好き恋の矢な私は大はしゃぎです。

【写40】一乗谷城

2つ目の堀切様です。
さっきのよりも更に大きいですラブラブ

【写41】一乗谷城
【登城口から1時間31分】

その先に二の丸の標示がありました。
ここも一の丸同様、後ろの高いところが曲輪だと書かれています。

【写42】一乗谷城

でも、ここは案内標示の後ろに、上がった跡が見えました。
ちょっとだけ迷いましたが・・・

【写43】一乗谷城

小さななぽ会議の結果、1対99の大差で「登る」と議決。
二の丸内部は、予想した通りですがこんな感じです。
奥側に1メートル弱の土塁がある、10メートル四方くらいの曲輪でした。

【写44】一乗谷城

二の丸からさらに三ノ丸へと攻め込みました。
ここまで来たら、見れる所まで見ようという意気込みです。
二の丸と三の丸の間にも、立派な堀切があります。

【写45】一乗谷城

こんな感じです爆  笑

【写46】一乗谷城
【登城口から1時間36分】

息絶え絶えになりながら登って来ましたが、ようやく三の丸到着です!
案内には「山城はここまで」と書かれています。
来る所まで来ました!

【写47】一乗谷城

説明板を読むと、三の丸は堀切で南北に分断されていると書かれていました。
北曲輪はこんな感じで、曲輪というよりも稜線にある道という感じです。

【写48】一乗谷城

道を進んでいると、地面がボッコリ凹んでいるのがはっきり見えました。
三ノ丸北曲輪と南曲輪の間にある堀切です。

【写49】一乗谷城
【登城口から1時間38分】

堀切様は、横顔がとてもお美しいです恋の矢

【写50】一乗谷城

堀切を登って見えた、三ノ丸南曲輪の様子です。
奥に土塁が見えます。
北曲輪とはちがい、横幅のある曲輪らしい造りです。

【写51】一乗谷城
【登城口から1時間40分】

一乗城山の標示と三ノ丸の説明板です。
山の標示の所には、473mと書かれていました。
帰ってから見たGPSログの最大標高が472mなので、ほぼピッタリです。
GPSログの最小標高が47mなので、高低差は425mです。
真夏に登る高さじゃありませんあせるあせるあせる

【写52】一乗谷城

さて、三の丸の一番奥まで来たので、その先は無いはずですが・・・
一番奥から堀切らしき地形が見えちゃいました。
山上遺構の図では、三の丸周辺に沢山の畝状竪堀群もあります。
ここまで来て見に行かないという選択肢はありません!
・・・というのが、某議会満場一致の議決です。

【写53】一乗谷城
【登城口から1時間43分】

さっきの堀切の脇に、横移動できる道がありました。
竪堀を探しつつ奥へ進むと、かなり大きな堀切がありました。
ただ、あまりに大きくて、写真だとこんな風にしか写りません。
この時は、あまりの疲労でパノラマを忘れる始末。
竪堀群も見つけられないまま、山を下りました。

登る時は息絶え絶えで、ちょっと登っては休みを繰り返していました。
下りは楽だろうなんて思っていましたが・・・
堀底道のような登城路は、下る時にも体力を奪いました。
下りでは普段使わない筋肉ばかり使うので、登る時と同じ位ハードでした。
山城で下りがキツイと感じたのは初めてです。
気温が体温以上になる予報だったので、熱中症かな?と思いましたが・・・
下ってからの平坦な道では平気だったので、体力の消耗だったようです。

【写54】一乗谷城
【登城開始から2時間25分、登城口まで往復2時間半】

登り同様、下りもちょっと下っては休みを繰り返しました。
もちろん、給水ポイントではガブ飲みですあせる
綺麗な水に恵まれた城跡で良かったです。

登る時には見ていなかった馬出しです。
下からは見えなかったのですが、上からは広い曲輪が見えました。
端に石積みの塀がありますが、遺構でしょうか?
そんな訳ないと思いつつ、ついつい撮っちゃうのが城キチですw


◆歴史(山上部中心)◆

15世紀に築かれたと考えられています。

一乗谷の館自体がいつ頃築かれたのかわかっていませんが・・・
当初から朝倉氏が本拠地としていたと考えられています。
朝倉氏は応仁の乱(1467~77年)の後、下克上で越前守護となりました。

朝倉氏が織田信長に滅ぼされたのは、1573年の事です。
よくこんな山城を攻略したなぁなんて感心していましたが・・・
朝倉義景は一乗谷城を放棄し、大野へ逃れていました。
そのため、ここが攻められた事は一度も無かったそうです。

朝倉氏滅亡後の一乗谷城

朝倉氏攻めで活躍した朝倉旧臣の桂田長俊に越前が与えられました。
桂田長俊は名を前波吉継と改め、一乗谷に館を築きました。
しかし、他の朝倉旧臣の反発に遭い、富田長繁らに討ち取られました。
次に越前を与えられた柴田勝家は、北ノ庄に新たに城を築きました。
これをもって、一乗谷城は廃城となりました。





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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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