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羽黒山館/福島県西会津町

羽黒山館は西会津インターのすぐ脇にありました。
訪問日は2015年8月6日です。

【写1】羽黒山館

2015年の夏休みは、新潟県を南西から北東へ55か所の城跡を巡りました。
ただ、スケジュール段階から少し時間が余りそう・・・
時間たっぷり + 移動距離長めという事で、奥会津も攻めて来ました。
ここがそのスタートとなった羽黒山館です。
村上から磐越道を走り、西会津インターを出てすぐの所にあります。

【写2】羽黒山館

ここは雷山公園として整備されており、真夏の城巡りにうってつけでした合格
ただ、知らずに訪ねると、ここが城跡だとは気づかないレベルですあせる

【写3】羽黒山館

端がこんな感じで一段低くなっており、帯曲輪だったようです。
城跡らしさが感じられるのは、せいぜいこれくらいな所ですあせる





◆歴史◆



不詳あせる



城主が誰だったかはもちろん、いつ築かれたのかすらサッパリです。

そんな場合は、とりあえず近隣の神社仏閣をググって手掛かりを探ります。

・・・それ自体もとても少ない地域ですがガーン



そんな中で登場するのは、山ノ内氏の名前です。

山ノ内氏は奥会津の山間部に割拠した一族で、出自は不明です。

戦国時代には蘆名氏や長尾氏、伊達氏に誼を通じていたそうです。

それ以前はサッパリでわかりませんが・・・

一番近い蘆名氏に従うようになったのは、1544年頃とされます。

蘆名盛氏が山ノ内俊清を攻めたそうですが・・・

この戦いは記録は蘆名軍の勝利、実際は山ノ内軍の勝利だったようです。

ただ、戦後に山ノ内俊清が隠居し、蘆名盛氏に従うようになりました。

何か取引があったのでしょうか?



地図で見ると、羽黒山館は会津と越後の境目にあります。

新潟シリーズで阿賀町の津川城を書いた時に驚いたのですが・・・

越後国内なのに、蘆名氏の城があったのです。

ここには蘆名氏の重臣中の重臣、金上盛備が居ました。

そこで金上氏でググると、鎌倉時代には既に津川城に進出していました。

蘆名本家と庶流の金上氏はずっと主従関係でした。

なので津川城は飛び地でなく、蘆名氏の地続きの領地だったと思います。

羽黒山館がある場所は、会津から越後へ抜ける街道沿いにあります。

どちらかと言うと、蘆名氏関連のお城だった可能性の方が高そうです。



上で書いた山ノ内氏が関係した寺院の位置は確認していません。

もしかしたら、ずっと南の山の中だったのかもしれません。





所在地:福島県耶麻郡西会津町大字野沢字西平(雷山公園)


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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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