2018/06/29
梁取城/福島県只見町
梁取城は、登城路の無い山城です。訪問日は2015年8月6日です。

登城路が無い!と気付いたのは、現地に着いてからでした。
2015年夏休みの会津回りは、「奥の方を満遍なく」という方針でした。
そんな中、只見町の城跡で来たのがココです。
西会津町から南下して来ましたが、細い山道が続きとても怖かったです。
そうしてやっと辿り着いた所での「あれ???」でした。
登城路無い



3秒程考えて「長袖だし、いっかw」という事に。
バイク野郎は、真夏でもジャケット羽織って走り回ってますからw
ここから入って、草の薄い所から登ろうという作戦です。

そしたらありました。
草の薄い所

※個人の感想です
木々の茂る斜面まで辿り着ければこっちのもんです


杉林なので、下草が殆どありません

見た感じ、上が見えているので頑張れば登れちゃいそう


ただ、傾斜はこんな感じなので、木に掴まりながらよじ登りました。
登り下りしていた時は、見た目以上に急に感じた角度です。

登り切った所です。
下から見た通りで、木々が茂ってはいるものの平坦です。
テキトーに登ったのですが、場所はドンピシャだったようです

あとは「何か無いか?」とウロウロすると・・・

登り切ってから右の方へ進むと、堀と土塁がありました

堀底から土塁上端までの高低差は、おおよそで3メートル程です。
真夏なのに直登した甲斐がありました


土塁の内側から土塁を見た所です。
堀と土塁の内側が主郭で、外側よりも下草がかなり少ないです。
そのため、奥にある土塁が良く見えます

ただ、構造もわからないまま登ったので、あまりウロウロせず・・・
諸兄のサイトを拝見すると、更に進むと反対側にも土塁と堀があるのだとか。
主郭は両サイドを土塁と堀でガードしているのだそうです。
これから登る方がいるのかどうかは???ですが、ご参考までにw

大した高さではありませんが、場所が場所だけに、とても感動しました

◆歴史◆
梁取氏の城でした。
築城時期は不明ですが、城主の梁取氏は山ノ内氏の一族です。
目の前を流れる伊南川が、山ノ内氏と河原田氏の勢力境でした。
1589年、伊達軍に攻められ降伏しました。
蘆名氏を摺上原の戦で滅ぼした伊達政宗は、蘆名旧臣に臣従を求めました。
しかし、奥会津に割拠する山ノ内氏と河原田氏はこれを拒否。
伊達軍が両氏の領地に侵攻しました。
この時、城主の梁取左馬之助(丞?)は籠城しましたが・・・
大した抵抗もせずに降伏し、伊達政宗に領地を安堵されました。
梁取城に陣取った伊達軍は、対岸にある河原田一族の和泉田城を攻撃。
和泉田城は徹底抗戦したため、城内に居た者は皆殺しにされました。
その後の梁取城は不明ですが、翌年、伊達政宗が会津を没収されました。
伊達政宗に従った山ノ内一族は、そのまま伊達領に移っています。
そのため、この時に廃城になったものと思われます。
所在地:福島県南会津郡只見町梁取
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