2018/06/20
大天城/新潟県新発田市
大天城は公園として整備されています。訪問日は2015年8月6日です。

北東にある駐車場の入口です。
オブジェクトは戦国時代っぽいですw
グラウンドや野球場などがあり、結構賑わっていました。

そういう所には用は無いので、さっさと山っぽい方へ向かいました。
その途中、公園の案内図がありました


結構ボロボロですけど

ここからまっすぐ進み、右の方に進めばいいんですね!

大天城の今の虎口です。
そう言い聞かせて無理やりテンション上げますw

防御力はあまり無さそうな登城路です


登り切ると、平坦な道が続きます。
最近どこかで書いたような流れです・・・w

途中橋があり、その下から見た所です。
堀切でしょうか?
テンションが・・・、テンションが、、、


その先にある
奥にやや近代的な物見櫓が見えます。

その近くに説明板と城址碑があります。
こうやって書いてると普通の城跡っぽいですね

◆歴史◆
青鬼堅人の城だったと伝わります。
青鬼堅人は平安時代にここに居たとされる伝説上の人物です。
三条辺りで好き放題して討伐された黒鳥兵衛の部将だったとされます。
ただ、黒鳥兵衛は重税を取り民を苦しめていたとされますが・・・
青鬼堅人は仁政を敷き、民に慕われていたそうです。
・・・まぁ、伝説ですからw
その当時のリアルはどうだったのかと、どうしてもツッコミたくなります。
黒鳥兵衛伝説で登場する実在の有名人が、佐渡に流されていた源義綱です。
源義綱は兄弟と折り合いが悪く・・・長くなるのでやめときます

佐渡に流されたのが1109年頃で、討伐され自害したのが1132年です。
やっぱり気になります?w
・・・なので、黒鳥兵衛が討伐されたのは、その間という事になります。
伝説の中で討伐した人物がその期間そこにいた、というだけですけど

ただし、この年代の阿賀野川以北は、越後平氏の城氏の支配地域でした。
城氏は源平の戦いでは、信濃の木曽義仲を攻めたりもしています。
そんな所に落ち武者が来て、好き放題出来る訳ないんですけどねw
城氏は鎌倉時代に入り、源頼朝没後に倒幕をめざし挙兵しています。
幕府軍が越後に攻めてきた時に戦ったのが、胎内市の鳥坂城です。
ザックリですが、大天城から北北東に約10km弱の所です。
この時に城氏を討伐したのが、碓氷峠で謹慎中だった佐々木盛綱です。
そして、その子孫が加地氏や新発田氏などの揚北衆となります。
伝説は、滅びた安部貞任の部将だった黒鳥兵衛が討伐されました。
史実は、滅びた平家一門の城氏が佐々木盛綱に討伐されました。
大筋ではとても似通ったお話だと思いませんか?
所在地:新潟県新発田市住田(大天城公園)
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