2018/06/16
山浦城/新潟県阿賀野市
山浦城跡は現在、旦飯野神社(あさいいのじんじゃ)となっています。訪問日は2015年8月6日です。

県道を走っていると、道端に真っ赤な鳥居が見えます。
この鳥居の手前に駐車場があります。
ここが旦飯野神社で、山浦城があった場所です。
これ書くまでずっと「たんいいの?」なんて読んでいました。
ちょっとだけ漢字のお勉強になりました


まっすぐ参道を登ると、奥に社殿が見えて来ます。
この手前がちょっと段になっていますよね?
石垣は神社のものですが、何となく虎口っぽい雰囲気がします。

神様にご挨拶したら、フリータイム突入w
社殿の周りはこんな感じで、綺麗に削平されています。
ただし、ここはガッツリ系なので、どこまでが城としてなのかは?です。

境内の所々にある土盛です。
土塁かもしれないし、そうじゃないかもしれないし・・・

土盛に沿って歩いてみても、お城としての構造がよくわかりません。
これがお城の遺構だったらいいなぁ

◆歴史◆
大見山浦氏の城でした。
越後には山浦姓の武士が2系統あり、それぞれ出自が異なります。
こちらに拠った山浦氏は、伊豆から来た大見氏の一族です。
他方の山浦氏は越後守護・上杉氏の一族です。
両者を区別するため、ここの山浦氏を大見山浦氏と呼ぶことがあります。
大見氏は、源頼朝が石橋山の戦で挙兵した時から従った伊豆の土豪です。
鎌倉時代になると越後国白川荘を与えられ、伊豆から移って来ました。
この時に大見氏本家は安田姓を名乗るようになります。
一族で領内各地を分知し、ここに根付いた一族は山浦姓を名乗りました。
山浦城についての出来事についてはサッパリわからず。
そんな時は、今ある神社の縁起などをググったりしてみます。
そうすれば、いつ頃お城が無くなったのか大体の見当はつくので。
ただ、旦飯野神社についてはいつ創始されたのか不明です

上の方で、山浦氏には大見山浦氏と山浦上杉氏があると書きました。
山浦上杉氏の笹岡城は、ここから北に3km弱の至近距離にあります。
そのため、山浦上杉氏は大見山浦氏と同じ領地を治めたと思われます。
山浦上杉氏が笹岡城に入ったのは、室町時代になってからの事です。
大見山浦氏が去ったのが鎌倉幕府討幕なのか、南北朝の争いなのか・・・
はたまた、一族同士の争いによってなのかは想像するしかありません

所在地:新潟県阿賀野市宮下(旦飯野神社)
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