2018/05/30
村松城/新潟県五泉市
村松城は城内を道が貫通し、半分くらいが公園となっています。訪問日は2015年8月5日です。

道端から城跡公園に入った所です。
いきなりですが、城キチならすぐそれとわかる雰囲気です


城内を道が貫通しており、道端まで堀と土塁が迫っています。
ギリギリまで復元しようとした感が見て取れます。

南西側の角から南側の堀跡に出ました。
ここが一番城跡としての遺構がよく残っていると思います。
とはいえ、ド真ん中をコンクリートの通路が通っていますが


南西の角を振り返って見た所です。
堀の外には一般の住宅が立ち並んでいます。

南東の角から南側の堀を見た所です。
距離があるので、そこそこ見応えがあります

堀がもうちょっと深かったらなぁなんて、欲張りでしょうか?

東側は川の土手で遮られています。
位置的には堀の内側に入ってきた感じに見えます。

土手の外を流れる川です。
この川も堀の役割を果たしていたそうです。
治水上、土手があるのは仕方の無い事ですが・・・
もうちょっと工夫が欲しい感じはします。

土手から城内を見た所です。
カギ形に折れているのがわかります。
桝形虎口の跡っぽい感じがします


桝形っぽい所から東側の堀を北へ進んだ所です。
真ん中に通路があるので、水を含んだ湿地のようです。

何となくですが、広場的な公園というより土塁の迷路みたいな感じです。

反対側から見ても、やたらと土塁が目につきます。

全体的に土の城な感じですが、こんな石積みもあります。
ただ、よく見ると積み方がお城のものではありません。
城跡公園にこれがあると、つい勘違いしますよね?
短絡的な白塗りの模擬天守が無いだけマシですが・・・
もしかしたら、この上に建てる計画があったのかもしれませんねw
◆歴史◆
1644年、堀直吉により陣屋が築かれました。
堀直吉は堀直寄の孫です。
この頃の堀氏では当主の若死にが続きました。
1636年には堀直寄の長男で村上藩主の堀直次
1639年には堀直寄が世を去りました。
この時に堀直寄の次男・堀直時に安田3万石が分与されました。
その後、1642年には本家で村上藩主・堀直定が7歳で世を去ります。
本家が絶えたため堀直時が村上藩を継ごうとしましたが・・・
幕府からは認められませんでした。
そんな折の1643年、その堀直時が28歳で没します。
家督は6歳の堀直吉が継ぎ、村上城在番を務めました。
しかし、村上城には本多忠勝の孫・本多忠義が入城。
堀直吉は領地替えとなり、村松に移って来ました。
以後、堀家は村松藩3万石の家として明治まで続きます。
1850年、陣屋が城に格上げされました。
村松藩9代藩主・堀直央の時に城主格となり、陣屋が改修されました。
堀直央は専売制や流通整備によって財政を立て直しました。
1868年、落城しました。
戊辰戦争では藩主・堀直賀は幕府側の奥羽越列藩同盟に参加しました。
長岡に出兵して新政府軍と戦うも敗退。
村松城が新政府軍に攻められて落城し、堀直賀は米沢へ逃れました。
そのため、藩内の新政府寄り勢力により堀直弘が藩主に擁立されました。
村松藩は新政府軍に降伏したため、藩は存続が許されています。
その後、廃藩置県により村松県庁が城跡に建てられましたが・・・
間もなく新潟県に吸収され、城跡は払い下げられました。
1979年から村松町により買い戻され、城跡公園として整備されました。
所在地:新潟県五泉市村松(城跡公園)
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