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栃尾城/新潟県長岡市

栃尾城は、上杉謙信が10代後半を過ごしたお城です。
訪問日は2015年8月4日です。

【写01】栃尾城

栃尾城の登城口です。
山城ですが、ここまで道が綺麗に舗装されています合格

【写02】栃尾城

登城口にはこれでもか!という位に案内があります。

【写03】栃尾城

そしてこの登城路。
真夏の城巡りでは山城は外すのですが、それでも来たのはこのためでした。
・・・顔の周りをコバエが飛び回りますけどあせる
まぁ、不快ではありますが、命の危険はありませんw

【写04】栃尾城

ちょっと登ると、道が2又に分かれます。
まずは狼煙台へ!

【写05】栃尾城

先に見える標柱は、中の丸を示すものです。

【写06】栃尾城

こちら側では、堀切が沢山見られます恋の矢恋の矢恋の矢

【写07】栃尾城

空堀跡の標柱が立っている所にも

【写08】栃尾城

こんな感じでいらっしゃいます。
若き日の上杉謙信も、きっとこれ見てキュンキュンしていた事でしょうラブラブ
あくまで、一城キチの勝手な想像ですw

【写09】栃尾城

やがて道は無くなり、いつもの風景になりますクローバー

【写10】栃尾城

元の場所に戻り、今度は本丸方面を目指します。

【写11】栃尾城

まずは二の丸です。
陽当り良好ですが、ちゃんと草が刈られています合格

【写12】栃尾城

その脇の木々の合間に、チラっと堀が見えました。

【写13】栃尾城

本丸へは、さらに登ります。

【写14】栃尾城

着きましたラブラブ

【写15】栃尾城

山の上とは思えない空間が広がっています。
この感じ、どこかで見たような・・・w

【写16】栃尾城

本丸で終わり!なんて方もいらっしゃるかもしれませんが・・・
まだまだです(`・ω・´)

【写17】栃尾城

まずは本丸の隣にある松の丸です。
結構グルっと回り込みますけどw

【写18】栃尾城

そして、本丸と松の丸の間にある堀切ですラブラブ

【写19】栃尾城

続いて三の丸です。
なぜわかったかというと、手前に標柱が立っていたからですw
そうでなければ、雑木林に道が通っているようにしか見えませんクローバー

【写20】栃尾城

その先で、またまた小さな堀切が進路を塞ぎます。

【写21】栃尾城

その先にあるのが五島丸です。
もはやただのクローバークローバークローバーですw
山城はやはり、草木の薄い季節がいいですね・・・あせる


◆歴史◆

南北朝時代に芳賀禅可が築城したと伝わります。

なるべくザックリ行きますあせる

芳賀禅可は宇都宮一族で、観応の擾乱では足利尊氏に味方していました。
足利尊氏と敵対した上杉憲顕は追放され、上野国と越後国の守護職を剥奪。
その後釜として両国の守護となったのが宇都宮氏綱です。
そして、その守護代として実際に統治に当たったのが芳賀禅可でした。
芳賀禅可が越後で活動していたのは、1352~62年の10年ほどです。

1358年に足利尊氏が没すると、追放されていた上杉憲顕が復権しました。
将軍・足利義詮と関東公方・足利基氏が、上杉憲顕を慕っていたからです。
宇都宮氏綱は突然越後国の守護職を解かれ、上杉憲顕が復帰しました。
当然の事ながら芳賀禅可が反発し、上杉憲顕を攻めようと挙兵します。
すると、この軍勢を鎌倉公方・足利基氏が討伐しました。
芳賀禅可の挙兵が謀反と見なされ、宇都宮氏綱の上野国守護職も没収。
その上野国の守護職も、上杉憲顕に与えられました。

1543年、長尾景虎が入城しました。

父親の長尾為景が没した後、守護・上杉定実が復権しつつありました。
家督を継いだ兄・長尾晴景には、反対勢力を抑えるだけの力量が無く・・・
元服したばかりの弟・長尾景虎を各地へ派遣していました。
そんな中、栃尾城主・本庄実乃が14歳の長尾景虎の才能を見抜きました。
本庄実乃は長尾景虎を栃尾城に招き、軍学の師となりました。
長尾景虎は各地でその才能を発揮し、次々に反対勢力を討伐。
19歳で兄に代わって越後国の主となり、春日山城に移りました。

本庄実乃の出自はわからず・・・
揚北衆の本庄氏の一族と思われます、としか言いようがありませんあせる
当時の揚北衆はまだ長尾氏と敵対し、たびたび戦っている相手でした。
栃尾城が古志郡にあるので、古志長尾氏に仕えていたのかもしれません。

御館の乱で上杉景勝に攻められ落城しました。

ということで、栃尾城の本庄氏は上杉景虎派でした。
本庄実乃とその子・秀綱は、ともに上杉謙信の側近として活躍しました。
城があるのが古志郡、上杉謙信の母も古志長尾氏出身なので。
上杉景勝は、古志長尾氏のライバルである上田長尾氏の出身です。
本庄秀綱は御館で活動したものの、陥落寸前に脱出。
栃尾城で抵抗し続けたものの、1580年に落城し越中へ落ち延びました。
その後は佐々成正に仕えたそうです。

1598年、堀秀治の家臣・神子田政友が城主となりました。

上杉景勝が会津へ移ると、堀秀治が越後の主となりました。
栃尾城にはその家臣・神子田政友が1万石で城主となりました。
どんな武将だったのかググってみましたがサッパリわからず・・・
1610年に堀家が改易され廃城となるまで、栃尾城の城主だったようです。


所在地:新潟県長岡市栃尾

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コメント

越後の龍

の初陣の地ですね。

かなりヤブってますね(^_^;

これからは厳しい時期ですね。

無題

ここは20年ほど前に訪問しましたが、本丸の雰囲気だけは覚えています。
後は忘れていました(^_^;
また行きたいなあとは思うのですが、なかなか行くチャンスがないのが残念です。
それでも少し思い出すことができて嬉しかったです。
ありがとうございました。

Re:越後の龍

>syunpatsuryoku1号さん
主だった所は草が刈られていると思いますよ。ブログで書いたのは8月の状態ですから。隅々まで堪能するとなると、もう厳しそうですけど。

Re:無題

>御城学さん
私も訪ねたのは3年前でしたが、かなり記憶が薄れていました。当時携行していた資料を見て、思い出しながら書いています(^_^;)
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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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