2018/04/19
上条城/新潟県柏崎市
上条城(じょうじょうじょう)は、漫画に出てくる訳ではありませんw訪問日は2015年8月3日です。

上条城跡への案内が、国道353線脇にあります。
この案内の場所は、下の地図で城跡の北側に引いた赤線の端っこです。

でも、何だか字体がちょっと怖いですw

案内に従ってわき道に入ったものの、その後の案内が見当たらず・・・
辿り着いたのが、川沿いにあるこの建物です。

上の建物脇から入る道に「上条城跡入口」の石碑があります

表にさっきと同じ案内あると、もっとわかりやすいんですけどね


城跡の脇にある川なので、とりあえず撮ります


石碑の所から奥へ進むと、真っ平に馴らされた公園っぽい所に出ました。
いきなりですが、ここが主郭の跡です。
昔ここに建物があったせいか、地面はコンクリートのまま。
城跡らしさがありません・・・

その奥も、ちょっと草深い公園っぽい感じになっています。

それでも「何か城跡らしいもの」を求めて奥へ進むと・・・
一番奥は木々や雑草が茂っていました。
しかし、地面がこう、ちょっと、凹んでますよね?
これが主郭と二郭を隔てていた堀です。
ここから奥は進めませんでした



◆歴史◆
上条上杉氏の城でした。
上条上杉氏は、上杉清方を祖とする上杉一族です。
上杉清方は久しぶりの登場です

詳細は省きますが、関東管領・上杉憲実の弟で、結城合戦で活躍しました。
領地はどこだったんだろう?と思っていましたが、ココだったんですね


兄の越後守護家や関東管領家が絶え、上条家からその後継ぎを輩出しています。
ザックリですが、越後守護家は守護代の長尾氏と長年に渡り対立しました。
守護は在京することが多く、領国では守護代が実質的なトップだったからです。
上条清方の孫・上条定憲も長尾為景と争い、ついには隠居に追い込んでいます。
長尾為景が隠居・病死した1536年、上条定憲も後を追うように没しました。
この時に上条上杉家は一時断絶したようです。
1571年、上条政繁により上条上杉家が復興されました。
上杉謙信の命令により、八条上杉家の上杉政繁が上条家の名跡を継ぎました。
上野国や越中国の戦で活躍し、能登畠山家から義春を養子に迎えています。
御館の乱では上杉景勝を推し、その後も超重臣として活躍しました。
しかし、1585年に信濃海津城主を突然交代させられ、翌年出奔しています。
養子の上条義春やその子らも、順次上条政繁のもとへ移ったそうです。
上条政繁出奔から廃城まで
その後は上杉家臣・村山慶綱が城主となりました。
村山慶綱は黒滝城主・山岸秀能の弟らしいのですが、不詳です。
1598年に上杉景勝が会津へ移りました。
その2年後の上杉遺臣一揆では、一揆勢に攻められ廃城になりました。
ということで、1600年まで城として使われていたようです。
所在地:新潟県柏崎市黒滝
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