fc2ブログ

石塚城/宮崎市

石塚城は伊東四十八城の1つで、現在は城跡に生目小学校があります。
訪問日は2018年2月10日です。

【写1】石塚城

石塚城跡は生目小学校の敷地になっており、どうも入れなさそうです。
それでも実はどこかから入れないか?と、訪問前に随分調べました。
ストビューでグルグルとネット徘徊し、入口候補を3か所に絞りました。

①の小学校正門は、土曜日だったのでアウト。
②が南側の入口でした。
航空写真では校庭なのか公園なのか区別がつかず。
公園だったらそのまま城跡の山に入れるかな?という想定です。
その公園っぽい所につながる道が、南から入るこれでした。
入口には特に門も何も無く「どうぞお入り下さい♪」的な雰囲気です。

【写2】石塚城

「それじゃぁラブラブ」とサクサク進んでみましたが・・・
最後の最後に門がハートブレイク
そこには「学校に用のない者の立入りを禁じます」と書かれていました。
敷地内の山に用があるんですけどねあせる

【写3】石塚城

せっかくなので、門から見える風景だけでも撮っておきました。

【写4】石塚城

③の候補は、バイパスが潜るトンネルの上から行けるか?というルートです。
そちらへは小学校の南側の道を通って行きました。
途中、城跡の山がとてもよく見える場所があり、バッチリ撮りました。
ただし、ここら辺は民家が密集しており、城跡へのアクセスは無理そう。



③西側のバイパスのトンネルの上を渡るルートですが・・・
真上から見た航空写真では平らに見えましたが、結構いい傾斜でした。
道があれば堂々と歩けると思ったのですが、道はありませんでした。
それ以前にトンネルの上に出る道も無く、密度の濃い藪に阻まれました。

・・・という事で、石塚城跡の山に入ることは出来ませんでしたあせる


所在地:宮崎市浮田(生目小学校)

宮崎県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

無題

祐武についてですが
祐武は複数います。
祐国の三男の祐武(日向伊東家)は1533年没。祐能の子の祐武(門川伊東家)の石塚城入城は1401年。石塚城入城が祐国の三男の祐武であれば,石塚城入城の132年後に没したことになり矛盾します。
祐武は伊東本家の他に門川伊東にもいます。門川祐景の6代目がが石塚城の祐武です。
実は私は石塚城の祐武の子孫のようです。系図が残っています。


Re:無題

>石塚寛さん
コメントありがとうございます。
大族なので同姓同名ありですね。
私は時代までわからず、もしかしたら?で色々考えを巡らせておりました。
不快な思いをさせ申し訳ありませんでした。
近日中にもう一度精査して書き直します。
非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR