fc2ブログ

高岡城/宮崎市

高岡城は伊東四十八城の1つで、現在は天ヶ城公園となっています。
訪問日は2018年2月12日です。

【写1】天ヶ城

城跡へは車で登って行けます。
かな~り広い無料駐車場があり、その脇にこれまた広大な広場があります。
このガッサリやられちゃった平坦地も、実は城跡だったりします。
芝生の広場は、おそらくニの丸だったと思われます。

【写2】天ヶ城

ここでひと際目立つのが、この模擬城門と模擬天守です。
落ち着いて見ると「ん~」となりますが、パッと見はとても絵になります。
城キチなので、こういう風景は嫌いではありませんラブラブ

【写3】天ヶ城

この模擬天守周辺が本丸だったようです。
訪ねた時は模擬天守のある高台だけが本丸だと思いましたが・・・
その周りも本丸だったようです。
今ではどこからどこまでが何の丸だったのかが???です。

【写4】天ヶ城

それでも楽しみだったのが、昔の遺構もちょっとだけ残っているからです。
模擬天守の前を通り過ぎると、木々の多い公園があります。
この辺り一帯が、かつての三の丸でした。

【写5】天ヶ城
天ヶ城の説明板

遠目にも!!なモノが見えました。
天ヶ城の説明板です。
これを見つけて、小さくガッツポーズです爆  笑

【写6】天ヶ城

その手前の巨大滑り台のある谷が、二の丸と三の丸の間の堀跡です。
まぁ、これを全て掘ったとは思いませんけどw

【写7】天ヶ城

三の丸には高台が2つあり、その間を遊歩道が通っています。
ここも堀跡かと思いましたが、図によると大手門の跡でしたあせる

【写8】天ヶ城

三の丸の西側の高台です。
その手前にあるのが三の丸の標柱です。
この小っちゃな高台が1つの曲輪と言えば曲輪なのでしょうが…
大手門を門たらしめるための土盛りのような気がします。
私見ですが、巨大滑り台よりこっち側全部が三の丸だと思います。

【写9】天ヶ城

もう1つの高台への入口です。
凝った虎口はありませんが、それでも裏から回り込むようになっています。

【写10】天ヶ城

こっちの高台の内側です。
ここに天ヶ城の城市標柱があります。
かなり広いうえに、東側がとてもよく見渡せます。

【写11】天ヶ城

さて、気は進まないけど模擬天守入ったろか!と思いましたが・・・
さっきまで開いていた門が、パッタリ閉まっています。

【写12】天ヶ城

近づいてみると、閉館時間を過ぎていました。
ま、いいですけどw


◆歴史◆

内山衆・野村氏の城でした。

築城年代や築城者などはわからずあせる
高岡城は内山城と呼ばれていて、その城主が野村氏でした。
伊東家臣団に内山衆という集団がおり、名前からその筆頭と思います。
わかった範囲では、末吉の戦で戦死した野村京綱も城主でした。
この「末吉の戦」がいつだったのかの???ですが・・・
島津家との戦とすれば、1480~1520年代頃でしょうか。

1577年、野村刑部少輔が島津軍に寝返りました。

伊東義益の側室・福園は、野村家の出身でした。
大名家と婚姻関係があるのは、世間一般的には重臣ですよね?
しかし、大友宗麟の姪・阿喜多が正室になった時に実家に帰されました。
しかもそれだけに留まらず、阿喜多の嫉妬により福園が殺されてしまいました。
これにより、野村氏は主家とは疎遠となりました。

1577年、野尻城主・福永祐友が、島津軍に攻められ主君に援軍を求めました。
しかし、伊東義祐は近くまで出陣したものの、島津軍とは戦わずに撤退。
福永祐友は伊東義祐に見切りをつけ、島津軍に寝返りました。
この時、内山城の野村刑部少輔、紙屋城の米良主税助も一緒に寝返りました。
この一連の寝返りが引き金となり、伊東家中は総崩れとなりました。

1587年、島津義弘の持ち城になったようです。

野村刑部少輔のその後はわからず。
その弟・野村文綱がわずかに歴史に登場します。
島津軍が大友宗麟を攻めた際、野村文綱は鶴崎城を攻めていました。
鶴崎城の妙林尼は、16度もの猛攻に堪えた後、和睦に応じて開城しました。
その後、豊臣軍が侵攻したため島津軍は撤退しましたが・・・
この時にお別れの宴として野村文綱らに酒を呑ませ、酔った所を襲いました。
野村文綱は胸を矢で射貫かれて重傷を負い、高城で落命しています。

1600年、島津義弘により天ヶ城が築かれました。

島津義弘は関ケ原から、日向国八代まで命からがら落ち延びました。
しかし、伊東祐兵の家老・稲津重政が、あちこちで島津方の城を攻めました。
稲津重政の戦ぶりは、黒田如水が家臣に手本にしろと言った程だそうです。
島津義弘はこの時、去川関より東側の守りが薄い事を痛感。
この苦い経験に基づき、内山城に大改修を加えて「天ヶ城」と改名しました。
比志島国貞を城主とし、多数の家臣を移住させて高岡郷を創設しました。

1615年、一国一城令により廃城となりました。

城は廃城になったものの外城として存続し、地頭と高岡郷は存続しました。


所在地:宮崎市高岡町内山(天ヶ城公園)

宮崎県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR