2018/02/02
六ヶ村城/宮崎県都城市
六ヶ村(ろっかん)城は、北郷氏が築いた山城です。訪問日は2018年1月1日です。

六ヶ村城へは、安久小学校脇から山に入る道があります。
その入口には、派手さは無いものの、案内が付けられています。
城跡近くに展望台があり、そこまでは舗装道が続いています。
その道ですが、ちょっとだけ細かったりしますw

この舗装道が直角に曲がる所に、この看板があります。

ここはちょっと広くなっていて、その脇から展望台に上がれます。

説明板と図を拡大表示
上の写真でチラっと見えていますが、ここに説明板があります


その先に展望台があります。
ここも城の一部だったのでしょうか?
見晴らしはとても良いです


城跡は展望台から200メートル先にあります。
案内はここまでいくつもありましたが、城跡付近にはありません。
未舗装の上り坂が続きますが、その右側の山が城跡です。
展望台から100メートル程進み、その山に差し掛かる所の右脇です。
・・・相変わらず木と草しか写っていませんw
チラッと「ここ怪しい」と思った場所です。
道端に1メートル無い位の「土塁?」という高まりがあります。
その奥が道のような、道でないような感じに見えます。
写真ではうまく表現出来ていませんが・・・
後から城の縄張り図を見ていると、ここも城内に通じているようでした。

上り坂の右側に迫る山肌が城跡です。
さすがにこの角度は登れませんよね?w

道を進む内に、右側の斜面が低くなっているのが見えます。
何も案内は出ていませんが、展望台から丁度200メートル位の所です。

ここが城内へ登る所です。
写真では道に見えますが、現地ではこれほどハッキリは見えませんでした。
いつもは写真では?で、現地では道に見える事の方が多いんですけどねw

斜面を10メートル程「直登」すると平地に出ます。
いきなりですが、ここが主郭のようです。
というのも、ここが一番高い所ですw

ここから奥へ進むと、下り階段状に曲輪が続きます。
中にはこんな感じで段差の高い所があり・・・

下りてみたら、堀切ちゃんでした


更に進むと、帯曲輪もあります。

やっぱり、山城にはコレがお似合いです

◆歴史◆
1533年、北郷忠相により築かれました。
北郷氏は、都城を本拠とする島津一族です。
伊東尹祐の侵攻により。北郷氏は滅亡寸前まで追い詰められました。
しかし、1522年に伊東尹祐が急死すると、伊東家中で内紛が発生。
この時に北郷忠相は伊東氏と和睦し、勢力の回復に乗り出しました。
そして1532年頃より、伊東尹祐に奪われた領地の奪還を始めました。
六ヶ村城は、伊東領の三俣院を一望できる位置に築かれました。
そのため、高城と梶山の伊東軍が攻め寄せましたが、撃退しています。
その後、北郷忠相は不動寺馬場で伊東軍に大勝し、三俣院を手に入れました。
所在地:宮崎県都城市安久町 GPSログダウンロードページ
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