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臼井城/千葉県佐倉市

臼井城は、上杉謙信を退けたことで有名なお城です。
訪問日は2022年2月5日です。

【位置】臼井城
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ここは上杉謙信が攻め落とせなかったお城でした。
現状は公園となっており、昔訪ねた時にはそれが何故なのか?でした。
色々見落としもあるようなので、それを確かめて来ました。

【1】臼井城
1.駐車場(堀切)

まずは駐車場です。
住宅街の真ん中にあり、周囲の道は細いです。
しかもかなりの交通量!
それでもご安心下さい。
公園になってるだけあり、ちゃんとあります!
駐車場は南側の真ん中です。

【2】臼井城
2.堀切

駐車場の奥です。
もうこれ見ただけで城跡感が漂います。
一見虎口のように見えますが・・・
実はココは大堀切で、奥は土橋です。
正体を知ると、かなり改変されているようで残念になります。

【3】臼井城
3.公園

ということで、とても広い公園になっています。
昔来た時の印象は、この写真の通りでした。
何故上杉謙信は攻め落とせなかったのか・・・?
かなり時間が経ったので、自分の目で確かめたくなりました。

【4】臼井城
4.案内図 2009年に撮影した綺麗な図を表示

ザックリです。
見習いたいです。

【5】臼井城
5.南口

とりあえず一周しようと、時計回りに外周を歩きます。
南西の南口ですが、要害性ゼロ。
ここは城の虎口ではなさそうです。
・・・とはいえ、チラッと見えてます^^

【6】臼井城
6.説明板 説明板を表示 図を表示

その前に、ここに城跡オブジェが揃ってます。
まずは説明板です。
かなり曇ってはいますが、縄張図付きです^^

【7】臼井城
7.城址碑

そして、立派な城址碑もあります。

【8】臼井城
8.堀

そして、チラッと見えていたアイツです。
ここでも地位は相当低いようで、原形を留めていますクローバー
上から見ただけでも、相当な規模だとわかります。
上杉謙信を退けたのはこれでしょうか^^

【9】臼井城
9.南西の切岸

どこかに載ってた図では、反対側にも堀が描かれています。
それで見に行くと、道の外側は急斜面でした。
てっきり平地が続いているかと思っていました。
こうして見ると、要害性がかなり隠れています。

【10】臼井城
10.太田図書の墓 説明板を表示

堀底に下りてみたくて、堀沿いに歩きました。
すると、南口を出て間もなく太田図書の墓がありました。
太田図書は太田道灌の弟で、ここで討死しました。
お墓があるので守備側かと思いきや、攻撃側でした。

【11】臼井城
11.堀に下りる道

じっとりした目付きで堀を見ながら歩いていたら見えました。
堀底に下りる道が、北側にあります。

【12】臼井城
12.堀底

上から見た通りで、かなり大きいです^^
北から南西にかけ、台地と城を分断しています。
堀底も行ける所まで行きました。
大きな堀は、台地端に開口していました。

【13】臼井城
13.公園側から見た堀

再び公園に戻り、南口から時計回りに。
今度は内側から堀を見下ろします。
とはいえ、内側からはあまりよく見えません。
ここが一番よく見える場所でした。

【14】臼井城
14.土橋の説明板 説明板を表示 図を表示

さらに端を進むと、浅い堀沿いになります。
ここは、駐車場から上がって来た所にある土橋です。
日差しの関係で、しましまになってしまいました。

【15】臼井城
15.土橋

往時からあった感じです。
ここで二郭(西側)と主郭(東側)が繋がっています。

【16】臼井城
16.土橋から見た堀切

上から見ると、それっぽく見えます^^

【17】臼井城
17.堀

駐車場の堀切から、土橋を挟んだ反対側の堀跡です。
埋められているのが、幅の広さからわかります。
ちゃんとした深さで駐車場まで続くと、かなりの規模に。
昔の私が要害性を感じなかったのは、堀を全く見てなかったからでしたあせる

【18】臼井城
18.堀切

浅くなった堀の奥は、堀切になっています。

【19】臼井城
19.堀の端から見た北側の堀

その奥で堀切は終わっていますが・・・
その先には、もっとずっと深い堀があります。
これは、先ほど歩いてきた北側の堀です。

【20】臼井城
20.腰曲輪

堀端の反対側は、腰曲輪となっています。
大手門から一段低くなっています。

【21】臼井城
21.大手門跡

堀底を戻って土橋の先が大手門跡です。
広くて土塁も残っています。

【22】臼井城
22.大手門の土塁

土塁はシャープさを欠いていますが・・・
端の櫓台っぽさが残っています。

【23】臼井城
23.大手門の反対側の土塁

反対側も^^

【24】臼井城
24.大手門前の右脇にある曲輪

大手門の左外には、土塁で囲まれた曲輪があります。

【25】臼井城
25.大手門脇から堀切

その端を歩くと、深い堀が見えます。
何度も登場している、北側の堀です。

【26】臼井城
26.大手門前の虎口

大手門の右側は、切岸を掘った虎口になっています。
大手門は、土塁で囲まれた枡形だったようです。

【27】臼井城
27.大手門下の腰曲輪

虎口の先には、一段低い曲輪があります。
先ほどの一段低い曲輪とはつながっていません。

【28】臼井城
28.北東側に下りる道

曲輪の先は、細道が下っています。
断崖に沿っていて、進路が限定されます。
しかもこの傾斜なので、大軍で突撃は不可です。

【29】臼井城
29.主郭北東部

大手門から再び城内へ戻り時計回り。
東側が主郭です。
ここも公園となっていて、ただの広場です。

【30】臼井城
30.主郭南東側の切岸

上はただの公園ですが、南東はこんなです。
13年ぶりに訪ね、ここの要害性を確認出来ました^^


◆歴史◆

臼井氏により築かれたと考えられています。

臼井氏は1114年、当地に来た平常康を祖とします。
平安時代なので、築城はもっと後の時代と思われます。
居館がどこだったのかは?ですが。
臼井氏は戦国時代まで臼井城を拠点とします。

1478年、太田図書に攻められました。

長尾景春の乱で、千葉孝胤は古河公方に従わず。
そのため連合軍の討伐対象となりました。
当時の居城を追われた千葉孝胤は臼井城に籠城。
この籠城戦は7か月にも及びました。
包囲が緩んだ際に籠城方が城外へ突出。
城主・臼井持胤と寄手の大将・太田図書が討死しました。
この激戦により臼井城は陥落。
千葉孝胤は逃れ、一時消息不詳となります。

臼井景胤が小弓公方の配下となります。

臼井景胤は、臼井持胤の子で千葉孝胤の孫です。
臼井持胤は千葉孝胤の子で、後継ぎの無い臼井氏を継いでいました。
臼井景胤は伯父の千葉勝胤とは不仲だったようで・・・
小弓公方に味方し、下総での中核的戦力と位置づけられました。
しかし、1538年の第一次国府台合戦には出陣していません。
この頃までには千葉家に抑えられていたと考えられています。

1557年、原氏の城となります。

臼井景胤が没し、子の臼井久胤が継ぎました。
ただし幼少のため、外祖父の原胤貞が後見となります。
原胤貞は善政を敷き、家臣・領民の支持を得ました。
臼井久胤は傀儡となります。

1561年、里見軍に奪われました。

長尾景虎が関東に出陣し、関東管領と上杉家を継ぎました。
これに呼応して里見義堯も北上し、生実城と臼井城を奪いました。
城を攻めたのは、この年に大多喜正木家を継いだ正木信茂です。
正木信茂は当時二十歳ですが、見事に父の勇名も継ぎました。
臼井久胤は千葉家ではなく、結城晴朝を頼りました。

1564年、原貞胤が奪還しました。

第二次国府台合戦で、後北条・千葉連合軍が里見軍に勝利。
勇将・正木信茂は討死し、千葉軍は里見家に奪われた領地を奪還。
原貞胤も本拠の生実城と臼井城を奪還しました。
臼井久胤は奪還後も戻って来ず、名実共に原氏の城となります。

1566年、上杉謙信を撃退しました。

この頃の上杉謙信は、毎年のように関東に出陣していました。
この時は離反を繰り返す佐野氏や小田氏を攻めに来ました。
そのまま南下し、千葉家重臣・高城氏を攻めて船橋一帯を占領。
海運を掌握し、さらに侵攻するための拠点としました。
そして千葉家筆頭の重臣・原胤貞の生実城・臼井城も攻めました。
圧倒的戦力差で、主郭を残すのみという所まで追い詰めますが・・・
軍師・白井浄三と赤鬼の異名を持つ北条家臣・松田康郷が活躍。
大激戦の末、上杉軍を撃退しました。
この敗戦が、関東諸将の上杉家離れを加速することとなりました。

1574年、原胤栄が本拠としました。

原貞胤の子・原胤栄が、本拠を生実城から臼井城に移しました。
原胤栄は千葉家筆頭の家老でしたが・・・
1557年に千葉親胤が殺害されてからは、その地位が揺らぎ始めます。
千葉親胤の後を継いだのは、分家の海上胤富でした。
千葉胤富は、従来から近くで従っていた原親幹を重用しました。
1585年、千葉邦胤殺害後、北条氏照の弟が千葉家当主となりました。
この養子・千葉直重を迎えたのは、原胤栄の主導によるものです。
これにより原胤栄も後北条家直臣・臼井衆筆頭となります。

1590年、徳川家の城となります。

豊臣秀吉の小田原征伐により、後北条家が滅ぼされました。
本土寺の過去帳によると、1589年に原胤栄が没しています。
小田原城が包囲されていたため、急遽一族の原邦房が城代となります。
その後、臼井城は徳川軍に攻められ落城します。
関東が徳川家康領になると、酒井家次が城主となります。

1604年、廃城となりました。

酒井家次が上野国高崎へ移封しました。
臼井は幕府天領となったため、臼井城は廃城となりました。


所在地:千葉県佐倉市臼井 GPSログダウンロードページ

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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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