2013/08/11
宮城氏館/東京都足立区
宮城氏館の跡地には氷川神社があります。訪問日は2013年5月5日です。

この神社は割とわかり易い場所にあります。大通りが立体になっており、その脇道を入った所です。そのため車の往来も少なく、神社の前にクルマを停められます。
マイナーな場所のせいか下調べが甘く・・・宮城氏館跡の石碑を撮り忘れました。痛恨の極み

石碑は神社境内の右隣の公園側にあります。あると思います。・・・見てないので何とも

◆歴史◆
宮城氏は豊島氏の庶流なのは間違いないのですが、起源については諸説あります。有力な説では
(1)葛西清重の子・朝清を祖とする(『金輪寺本豊島家系図』、『豊島宮城系図』)
(2)葛西清重の4代後の豊島重信の子・重中を祖とする(『泰盈本豊島家系図』)
など。
宮城氏は1478年に太田道灌が本家・豊島氏を滅ぼすと、その軍門に降りました。
1486年に太田道灌が暗殺されて太田氏が内部分裂すると、岩附太田氏に従いました。
1564年に嫡男・太田氏資がクーデターにより家督を継ぐと、宮城氏はこれに従いました。氏資はそれまでの反北条の姿勢を一転し、後北条氏に仕えました。
1590年、豊臣秀吉により後北条氏が滅ぼされると、宮城氏も没落しました。
江戸時代になり、徳川秀忠が宮城氏を見出すと、宮城正業を旗本として登用しました。その領地はちとわかりません(;´ゝ`)
氷川神社の由緒書きによると、豊島八郎重中が屋敷の敷地に氷川神社を勧進したそうです。そして、1590年に豊臣秀吉により主家・後北条氏とともに滅びました。しかし、村の鎮守として氷川神社は残りました。
大正2(1913)年3月、荒川の河川改修に伴い移転。
昭和20(1945)年4月13日、戦災により焼失。
昭和25(1950)年10月、旧地に再建。・・・戻ったんすね。
昭和33(1958)年10月、宮城公園設置のため、移転新築し現在に至る。・・・また移転?
途中に書かれていた宮城1丁目38番6号を検索すると・・・氷川神社の場所がヒットしました。結局の所、今の場所がそうなんですね┐(´∀`)┌
所在地:東京都足立区宮城1丁目(氷川神社)
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