2020/06/15
姉帯城/岩手県一戸町
姉帯城は、とても整備されていながら堀が凄いです。訪問日は2017年5月5日です。

城跡まで舗装道が整備されており、車で訪ねることが出来ます。
これ、大事デス(`・ω・´)
入口にこれがあるので、この前に車を停めます。
結構広い突き当りなので、4、5台は停められます。

車侵入禁止から徒歩2分程で城内に到着です。
早速ですが、入口にイイモノ見えてきました


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文字多めで測量図付きの豪華な説明板です。


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そこに載っている図です。
もう、等高線が細かすぎて超リアル


図を見ると、東から伸びた舌状台地の上面を城にしています。
まずは先端の西側を目指します。
主郭は広くきれいに整備されており、先端部には低い土塁があります。

先端は段差があって低くなっているのはわかりますが・・・
ちょっと、逝けません(´;ω;`)

まぁ、でも、ココの本命は付け根の東側です。
こちらには朱い鳥居の神社があります。
世間一般のカタギの方々はここが終点ですが・・・

城キチはここからがスタートです(`・ω・´)
神社は土塁上にあり、すぐ裏にこんな立派な堀切があります。
この堀切が舌状台地をぶった切り、主郭を台地から切り離しています。
実はこの堀切、上がってくる道からも見えていました^^

堀切の向こう側は、一般人は見向きもしない杉林です。
城キチだって杉林に特別キョーミはございませんが・・・
先程の図を思い出して下さい。
図の右の方に何かありましたよね?
それがあるのを信じて突き進みます。

まっすぐ進むと、それ、ありました(*´▽`*)
東側の堀切です。
こちらもまっすぐ台地を分断しています。

深さは2メートルちょっと。
形状からおそらく薬研堀と思われます。
底が丸まっているので、もう1メートルくらいはあったかもしれません。

最初の図をよく思い出して下さい。
右側の堀、二重堀でしたよね

堀の奥の土塁の向こう側も、また低くなっています。

少し浅いですが、二列めの堀です。
道無き雑木林を抜けた先で見る堀は、城キチの心の栄養ドリンクです

◆歴史◆
南部一族・姉帯氏の城でした。
築城時期は不明ですが、南部一族・姉帯氏の居城でした。
南部家からの派生時期は諸説ありますが・・・
通説となっているのは、九戸連康の子を初代とする説です。
九戸政実の大叔父(祖父の弟)なので、戦国時代でしょうか。
1591年、九戸政実の乱で落城しました。
南部家中の争いで、九戸政実が南部信直に謀反を起こしました。
両者の争いは1582年、南部晴政の死により表面化します。
・・・書き始めると長くなりそうなので、以下略('Д')
姉帯兼興は九戸側となり、姉帯城に籠城しました。
寄手・蒲生氏郷2万8千に対し、籠城側の兵力は200名余り。
それでも怯まず立ち向かい、ほぼ全滅の討死をしました。
落城の翌年、姉帯城は南部家により破却されました。
所在地:岩手県二戸郡一戸町姉帯字川久保
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