2018/08/25
新高山城/広島県三原市
新高山城は小早川隆景の城でした。訪問日は2018年8月8日です。

新高山城は「にいたかやまじょう」と読みます。
あの暗号文が気になったのでググってみましたが・・・
台湾で一番高い山が「新高山」だったそうです。
登城口は、こんな感じで案内が出ています。

矢印の先には、かなり広い駐車場があります。

駐車場で車を降りてからも、しっかり案内があります。
どうしてこんな所で迷子に?という私でも、安心して歩けました。

登城口から2分
山道に入って間もなく、超気合の入った説明板と案内図があります。
杖の数もハンパなく、チャンバラ大会が開けそうな位です。
チャンバラはしないで下さいね(^▽^;)

左の案内図部分を拡大してパクリました。
ザックリですが、何となくイメージがつかめます

ここにも詰の丸がありますが、本丸の奥のようです。

登城路のはじめの内は、沢に沿った上り坂です。
こう見えて、結構キツイですw

登城口から8分
登っている内に、右側の土の壁がちょっと低くなっている所がありました。
これは、もしや、、、


そこから覗き込むと、バッチリ平らに馴らされた空間がありました。
ここで初めて見た城跡らしい場所でした。
案外低い所から始まる!と、ちょっと期待しちゃいました。

そうして浮かれていると、すぐ先に「鐘の段」の案内が。
おぉ、バリバリ城内じゃん(*´▽`*)と、そちらへ釣られます。

登城口から9分
サラッと山道を進むと、超広い曲輪に出ました。
ここが鐘の段です。
真ん中には鐘の段についての説明板があります。
どうやらここは、古い時代に独立した城だったようです。

どこまで続いているのかと奥まで進むと、高台の手前に横堀がありました。
想定外の外道に、思わずガッツポーズ出ます


登城口から12分
その高台の上です。
まぁ、こんなもんですってw

再び元の道に戻ると、間もなく「番所跡」の案内が。
さっき脇に入ったのと同じような形の虎口があります。

番所は軽石の段、中の段、下の段の三段で構成されています。
ここが多分一番上なので、さっきのは中の段、、、だと思います


番所跡のすぐ先に、城キチならちょっとソワソワする光景が。
何も案内は無いのですが、かなり大きな縦堀に見えました。
自然地形の谷間にも見えますが、転がる岩も超気になり・・・
道は別の方向ですが、ちょっとのつもりで登っちゃいました。

登城口から22分
登り切った所には、かなり広い平坦地があります。
登った時は中の丸かと思いましたが、匡信寺跡と呼ばれる曲輪です。
匡信寺は小早川家の菩提寺だそうです。

ここからさらに「登れ」と語り掛けてきそうな道がありました。
このすぐ上が本丸なんだろなぁなんて、かなり軽い気持ちで登りました。

登城口から27分
この山道が意外と長くて、意外とキツかったです。
あれ?城域通り過ぎたか?なんて思う程、延々と山道を登ります。
そうして登って行くと、上に白い板が見えて来ました。
何かに辿り着いた!と思い駆け寄ると・・・

ここが中の丸でした。
山城らしい曲輪です。

奥の方を見ると、斜面に大きな石が転がっているのが見えました。
これは本丸の石垣が崩れたものです。
このちょっと裏側は割と整っているのですが・・・
「本丸は最後」が、なぜか私のポリシーですw

別の方向に気になるモノが見えちゃいました


その手前はこんな感じになっています。
もう、誰が何と言おうと城内です!

中の丸から本丸の城塁に沿って進むと、またしても広い場所に出ました。

登城口から38分
ここでも「どこまで続いているんだろ?」と奥に進むと・・・
奥にかなり整った石垣が見えました!
この写真にも写っていますよw

その石垣です


この広い曲輪には井戸が沢山あり、端っこには石垣があります。
真ん中にある白い板には「釣井の段(井戸郭)」と書かれていました。
中の丸から、本丸の外周に沿って時計回りに回った感じの曲輪です。

ずっと端っこを追っかけていたら、何となく崩れた感じの所がありました。
上にはそっぽを向いた板があり、ここから楽々登れそう・・・

登城口から43分
ここ道じゃないよなぁなんて思いながらも、誘惑には勝てず・・・
登ってそっぽ板の正面に回り込んだら「大手門跡」と書かれていました。
バリバリ通り道でしたw

拡大図
ここにあった図を拝借します。
図を見ると、中の丸から本丸は釣井の段を通るのが正解のようです。
正面に本丸の石垣を見つつ、回り込まないと上がれない構造ですね!

えっと、本丸です

本丸の奥がちょっと高くて、岩がゴツゴツした所があります。
ここが詰の丸です。
石像がいくつもあります。

ここから見る城下は、まさに手に取るように見渡せます。

さて、ここに来たのは、もちろんスタンプがあっての事です。
本郷生涯学習センターは本郷駅の近くにあり、図書館と併設されています。
入口は、建物と建物の間にあります。
続日本100名城スタンプ設置場所
![]() | 本郷生涯学習センター https://www.google.com/maps/d/view?mid=1OXojT-RhDvYHEdHpzyY6-FK7DcU&ll=34.41067,132.98326&z=19" style="color:#ff0000" target="_blank">地図 開いている時間 9時~18時 お休み 12月28日~1月4日 入場料 無料 |
道が一部崩れているので、登山は控えてくださいと書かれていました

現地は特に何も無かったんですけどね・・・
◆歴史◆
1552年、小早川隆景により築かれました。
小早川隆景は毛利元就の三男で、竹原小早川家を継いでいました。
小早川宗家である沼田小早川家は小早川繁平が継いでいましたが・・・
病弱なうえに失明していました。
家臣団は小早川繁平に従う派と、小早川隆景を新たに迎える派に分裂。
大内義隆と毛利元就は小早川繁平に謀反の疑いを掛け、隠居させました。
この際、小早川繁平派の家臣の多くが粛清されています。
1550年、小早川隆景に小早川繁平の妹を娶せて、宗家の当主としました。
小早川宗家は対岸の高山城が本拠でしたが、新たに新高山城を築きました。
1595年、廃城となりました。
小早川隆景は毛利家の重鎮として大活躍しました。
父・毛利元就の没後は、兄・吉川元春とともに毛利輝元を補佐しました。
1585年に伊予一国、1587年には筑前・筑後を与えられています。
しかし、小早川家の本拠地は新高山城のままでした。
1595年、小早川隆景は隠居し、養子の小早川秀秋に家督を譲りました。
自身は隠居城としての三原城大改修を始めます。
その際に、新高山城の石垣を用いたそうです。
1597年、小早川隆景は、この三原城で世を去りました。
所在地:広島県三原市本郷町本郷 GPSログダウンロードページ
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